●オバマバブル
バラク・オバマ現象を、旋風、タイド(潮)、津波、バブル、と形容するばかりでなくたくさん造語が使われている。そのいくつか:
オバマニア Obamania (オバマ狂いの支持者)
オバマラマ Obamarama (パノラマ/大風呂敷)
オバマメンタムObamameentum (オバマ+モメンタム弾み/勢い)
オバマノミックス Obamanomics (オバマの経済政策)
オボンビー Obonbie (オバマはゾンビ、または言いなりになるオバマ馬鹿)
バラクテリア Barackterie (バラク細菌、蔓延に注意)
そのほか造語でないが一番気に入った喩えは『タマゴッチ』。成人も子供も熱中し、たちあとかたもなく消え果てたタマゴッチ。オバマはタマゴッチ。
●オバマニアに冷や水
昨日は米選挙戦速報(situation room)をライブで夜中の3時まで見る。開票後すぐにバーモントをオバマが制したが、オハイオはヒラリーが勝ちそう……ほぼ確定した。テキサスは開票30%時点でオバマ有利、推定確実までまだ数時間かかりそうなのでベッドへ。うちにも赤い色の電話があるけど鳴りませんでした。
翌日ニュースを聞くとオバマはテキサスも予備選と党集会を両方とも辛うじてヒラリ−に及ばず、重要度の低いロードアイランドは予想通り落とした。2月に入ってからヒラリーがテキサス・デスマッチに反則を繰り出して猛攻したのが、効いたのですな。
もしですよ、2月から3日のあいだ面会・差し入れ禁止で拘置されてしまった米の選挙オタクがいたとしたら、ヒラリーが勝ったのは青天の霹靂だろうな。わたしは曇天の切れ雲というか、とにかくオバマの出足をくじいたことに満足した。なんとなく気分が晴れて、一日仕事をおっ放り出していそいそと家中を掃除、ウドンを作ったりしている。断っておきますがヒラリーが良いと言ってるんじゃありません、どっちも好きじゃない。
ところでビルはどこへ行った?一人で応援ラリーやっていたが、ヒラリーに同行して壇上に上がるのはチェルシーだけという場面が続いている。この夫婦はいつも政治的条件が適う時だけ一緒、お顔にケンがたちます。
●ヒラリーに向きはじめたTVカメラ
ネガティブ・キャンペーンにしかめっ面するコメント家さんもいたが、この数日はヒラリーがメディア露出度がオバマを凌駕した。投票前夜になってまだジョン・スチュワートのデイリーショウに電話出演しているくらい。例の赤電話論争はくだらないけれど、オバマに有効な反撃ができず、ヒラリーーの勝因につながった。(3日のコラム「言うほどにないヒラリーの経験」に言及)一方、サプライム・ローン絡みで逮捕されたオバマの大口献金者スキャンダルがヒラリーに幸いした。三つ目は年長者と未定の独立有権者がヒラリ−支持に回り、ヒラリーがラティーノ票をのがさなかったこと。勝利確定の朝から立て続けに各局に出演、し、モメンタムが移った感触をうけた。怪獣に成長したタマゴッチがケア不足で死に絶え、オバマバブルがはじける兆候ではないか。
●オバマの外交アドバイザー、サマンサ・パワー
オバマの外交アドバイザーであるサマンサ・パワーが、BBC番組ハードトークでスチーブン・サッカーと討論するというので、昨夜見る。サマンサ・パワーの著書A Problem from Hell: America and the Age of Genocide'「地獄の難題:アメリカと大虐殺の時代」を前に、彼女のイラク、イラン、パキスタン、アフガニスタン、中東、アフリカ政策の論旨を、サッカーが現実と照合して追究する。と、なんと破綻のおおいことか。と同時にサマンサ・パワーの意見とオバマの発言が一致、少なくとも同じリベラル感性であることに唖然とする。彼女のピューリツア賞受賞本は翻訳されていないが論旨はここで見当つきます。
http://www.salon.com/news/feature/2008/02/18/samantha_power/
この本をなぜ書いたか、彼女曰くI wanted to change American policy, change the world……。これがいまオバマのキャンペーン標語になった次第。
コフィ・アナンのお気に入りでバグダッドで爆死したデメロ国連代表のアドバイザーだったのですね。道理で超のつく反ブッシュ-チェイニーなのだな。オバマとピッタリ呼吸があう。
パワーの考え方はライスと対極にある。またアイルランド人の容貌はTVで合点がいった。見るからにアイルランドとおぼしき長い赤毛で碧い目の女性です。もし、もしですよ、オバマ大統領誕生の曉にはこのハーバードの先生・サマンサ・パワーが国務長官か、あるいは安全保障特別補佐官になります。ア〜
余談;オバマの外交アドバイザーは顧問格のブレジンスキーが知られている。カーターの国家安全保障特別補佐官として、お粗末な融和外交をした人。ハ-マン・カーンが書いた『超大国日本の挑戦』に反対して『ひ弱な日本』を出版、日本経済はを明日にでも崩壊すると無知な日本論を書いた人。出身がポーランドのせいかイスラエルに厳しく、アラファトを増長させ、東欧に優しく親ロシアだった。ブレジンスキーよりパワーの方がましか。