安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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NYフィル、ピョンヤンでアリラン
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〈 2008年 2月 27日 水曜日 )


●『ピョンヤンのアメリカ人』
ニューヨークフィルが平城大劇場(収容2500人、国際基準では中劇場)で第一回の公演を終えた。世界の主要TVでライブ放映のオマケ付き。曲目にガーシュインの「パリのアメリカ人」がある。ローリン・マツェルが聴衆にむかって「いつか『ピョンヤンのアメリカ人』を書く作曲家が現われるでしょう」と、大受けした。

北朝鮮には国立交響楽団があるのですね。あってあたりまえ、イランにもパレスチナにもあるはずですが、疑惑の国にオーケストラが存在することがピンと来ない。で、NYフィルの次回公演は北朝鮮国立フィルと共演という。ブッ壊し音楽なんぞゴメン、聞きたくないが、ローリン・マツェルは文化交流とあらば音楽制を犠牲にしても北朝鮮一番乗りの文化使節になる名誉を選んだのだろうか。普通ならありえない、例えばNYフィルが日本公演で地方に行き、北朝鮮よりうまい土地のオケと共演してくれるかってお願いしてごらんなさい。とりあってくれませんよ。

モスクワフィルまたはレニングラードフィルが平城で演奏会をしたことがあるのか、おそらくないのではとおもう。オケが聞きたいならまず中国かロシアから招待すべきでしょうな。それがヒルズ次官補の仲介でと北の対米交渉グループがまとめた。すると報じられているように当然対中国、対ロシア組の妬みを受ける。このNYフィル公演はに政治的に利用される具体的な局面がいつも憑いて回るだろう。特にアンコールの「アリラン」に突然熱狂する様子に北朝鮮のナショナリズムが恐ろしげである。

パレスチナで公演したバーレンボイムは中東和解に努力する頑強に政治的な指揮者。マーツェルは米朝和解よりオープンな北朝鮮に役立つとの考えを語っている。指揮者が積極的に社会に参画することは指揮者の自由、そう言う行動を音楽好きが嫌うのも自由である。わたしは嫌いなほうです。

R・マーツエルがちょっと面白いコメントをしていました。要旨は:1959年のモスクワ公演のあと、ソ連の崩壊がはじまった。独裁国家にとって音楽解放は諸刃の剣である。

● 私感。三浦逮捕
サイパンで逮捕された三浦知義容疑者が、LA で裁かれるなら有罪になる。あちらの陪審制で行われるので無罪はまず考えられない。前回の身柄引き渡しは「有罪」が暗黙の条件だったはずだ。そうでなくては米で起きた犯罪に被疑者を引き渡す米ではない。それが高裁で無罪、最高裁で棄却となったので「それはないよ」、と。米は再逮捕に執念をもつようになった。(了)



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