● ファティマ・ブット、ブット王朝懸絶を語る
暗殺されたベナジール・ブットの姪にPPP(パキスタン人民党)の幹部がいることは以前に少し触れたが、この25才の姪ファティマ・ブットが、大胆にブット一族と叔母ベナジールの継承政治を痛烈に批判。CNN記者Frederik Pleitgenに忌憚なくたんたんと答えている。まずはその抜粋をお聞きください。痛烈ではありますがヴィデオでは静かに昂った様子はない。まずその抜粋(記事とヴィデオからの聞き取り)をお聞きください。
『政党・政治家たちのやってることはつまるところ回転椅子ゲームにすぎない。真の民主的慣習に欠け、この国は権力のひったくり屋が国政を動かしている。この回転椅子ゲ−ムで叔母(ベナジール・ブット)はブット一族の結束をズタズタに壊す代償と引き替えにゲームに勝った』。
注:1996年ファティマの父は治安警察に邸宅の前で射殺された。この時の首相は父の妹であるベナジール・ブットである。事件はウヤムヤになったが世間の通説では父のムルタザ・ブットがベナジールの政治的ライバルになったため暗殺されたと言われる。
『欠陥だらけの政治による負債を洗い出し直視しなければならない。2度のベナジール政権は汚職の蔓延、人権侵害、警察の過度な暴力が広く知られている』。
ファティマはB・ブット暗殺後、PPPから後継に嘱望されたがが取り合わず辞退。なぜかとの問いに『私自身は王朝政治、出生による政治的正統性を信じた事は一度もない。それはパキスタンを危険にさらし、民主主義を踏みにじり、なによりも国民のためにならない』
注:ファティマはベナジール・ブットが選挙に帰国して以来、会っていない。暗殺については祖国への攻撃、B.Butto died bravelyと表現、葬儀には参列した。棺の前に家族がいる写真でたしか2列目にいたとおもう。パキスタンの噂はキリがありませんが暗殺はファティマの謀略説があることも書いておきます。
●文筆家、ファティマ
今後の活動については、彼女自身がその純正英語でもわかるように米英で教育を受け、成長した。そういう特恵的な名門の制度を断ち切るべきと考えているので、いまはコラムニスト、作家としての仕事に専念する。パキスタンが自由で部族政治や名門政治がなくなり、オープンフィールドが開けるときがくれば、そしてわたしが国政に参加する道があるなら、then I would be proud to (go into politics) だそうです。ま、ファティマはPPP後継者ビラワルと後見人の父ザルダリ親子と確執があり、共に党活動は難しいと察せられる。
同時にムシャラフ批判でも売れっ子の評論家である。『アメリカはパキスタンに関与すべきではない。ムシャラフの独裁政権を9年間もゆるす結果になった』と手厳しい。
●ダヴォスで引っ張りだこのムシャラフ
さて、ダヴォスのムシャラフは各国メディアから引っ張りだこ、ライス、バ・ンキムーンキッシンジャー、マレイシアのバダウイと立て続けに会談、あと誰が順番待ちしているのか大もてです。カルザイ?ええ、来てるんですってね。ウクライナのユーシェンコ?、『ヘー、それ誰?』とつれないこと。
EU会議のパネル討議ではアジア委員長だかの肩書きから、典型的なムシャラフ批判の数々を糾弾され、満場の場でイジメにあったムシャラフがハンカチで額を拭いながら例の反駁、西洋インテリの傲慢・偏見と歪曲のへの反論が次第に重力を持ち、会場を圧していくさまは、反論の是非はともかくエンタメとして超一流である。これにあやかったか、ダヴォスを取材しているCNNのVicky Anmdersen が特別インタビューで同じ質問をぶっつけて怒らせていました。そのビデオは25日のcnn.com/europa で見られます。
2月18日が国会と地方議会の選挙日である。BBCでは『選挙で人気がないなら辞任する。国の役に立たないと判断した場合、国民が続けて欲しくないと願うなら、辞任する』。ムシャラフのダヴォススピーチは、選挙後の近未来について自身のあり方をふくめ多くを示唆している。ファイナンシャル・タイムズのインタビューと一緒に次回にとりあげたい。のですが、興味があちこちありすぎて………(了)