1966年14才頃のプーチン
●インパクトで選ぶ「今年の人」
タイム誌が「今年の人」にプーチンを選びました。見出しはA Tsar Is Born. 意義なーし。意義ある方は選択の理由をwww.time.com からPersons of the Year 2007 を見て頂くか、近々発行される日本語版タイム誌を読んで貰えば納得されるでしょう。ジャーナリズムの選ぶ年男はなにも世のため人のために英雄的貢献をした人物ではない。「今年の人」は名誉賞ではない。認証でもなく人気投票でもないと、タイム編集長がTVで語っていた。モラルや思想ではなく、世界的影響力の大きさ、インパクト、重要な意味をもつ人物が選考基準である。するとプーチンに伍する相手は皆無、環境のゴアや欧州新時代のサルコジは軽い。歴史的インパクトに見合わず表層的である。
ソヴィエト崩壊後のロシアは経済破綻をきたし米ソの2強から落後すると、西側への劣等感が国民に燻り鬱積した。このことはアジア系国民には逆に妙な優越感があるため、日本人には見えにくいが、欧米のコメントにいちいち「アメリカから園児のように扱われるのはゴメンだ」という鬱憤が渦巻いていた。劣等感による八つ当たり。
プーチンは石油高騰による時代の流れもあるが、サウジに次ぐ世界2位の石油産出からえる富をバックに、強いロシア、ロシアの誇り、ロシアの文化と歴史、ロシア革命以来絶えてなかった市民生活の安定、政変に翻弄されない持続する安定をもたらした。
●ロシアの意識改革を果たしたプーチン
つまり国民の劣等感を払拭し、意識改革を果たしたのがウラジミール・プーチン大統領というわけ。プーチン自身に劣等感が激しかったからに他ならない。かねがねロシア人のヒガミ根性に辟易したものですが、その反動か、プーチンのロシア二期目は大国意識がオーバーなほど対米対決型独自外交を進めるようになった。ブッシュのユニラテラルを非難する向きはプーチンのユニラテラルにも公平に非難すべきだろう。たとえばイランへのウラン提供。
2008年、首相になるプーチンがいかほどの%で作用するか未知数としても、ロシアがジオポリティックスのキープレイヤーで或る事は確か。もしプーチンのヴィジョン「強いロシア」と、手法としての強権政治がなかったとしたら、復活ロシアはこれほど成功しなかっただろう。残念だが民主化を詰め寄った米は黙るしかない。(了)
補注:タイムの見出しA Tsar Is Born「ロシア皇帝誕生」はプーチンのアイドル「ピョ−トル大帝」に因んだようだ。プーチンは酒タバコをたしなまない。バンケットで乾杯のワインを少し口にするだけ、バイブルを外遊の飛行機に持ってゆくという。