● ビッグビジネスに誇りを削ったサルコジ
カダフィがパリジャンもビックリの奇行、暴言で毎日物議をかもしています。核開発をギブアップして国際社会に復帰してから初めての欧州訪問、35年ぶりという。リビアのストロングマン(最高指導者のこと)カダフィ大佐は3台のジェットでやってきた。ま、そんな奇人ぶりを書き留めておこう。奇矯な発言はバカらしくてとりあげません。
というのはリビアとフランス2国間にハラハラするような問題はない。サルコジにはコタエられない原発プラント、エアバス21台。戦闘機を14機をリビアから受注、ほかにフランス企業が多数の商談に契約が目白押しとあっては、カダフィの傍若無人をガマンして叶えてあげる必要がある。首脳会談を2度、国会招待(野党は欠席)から国賓バンケット、etc.etc.
革命に成功した頃の大佐は黒のセーター、はにかみ屋で質素な青年だった。ロウソクをともした砂漠のベドウインテントで、長時間不得意な英語でインタビューに答える姿は忘れられない。わたしも感激したほど。フランス訪問(73年)ではポンピドーから優しくいたわられる大佐だったが……。その後、欧州では学生運動の過激派や日本赤軍がテロ行動を起こし、逃亡先は決まってリビア。ゲリラのパトロンカダフィがかくまってくれた。
●革命家から石油成金になったカダフィ
35年ぶり、パリの大佐は車百台のお供を引き連れ、「アマゾナス」とパリッ子がよぶピチピチ迷彩服の女性ボディーガード4人が片時も大佐のそば離れない。宿舎に提供されたエリゼ宮前のゲスト・マンション(邸宅のことで日本のマンションじゃないよ)で睡眠するらしいが、前庭にベドウインテントをいくつか建てた。広さ200平米豪華な内装である。これを個人的パーティーやスタッフとの会議、客人に会う。月曜日の夜はベドウインダンサーを侍らせていた。ベドウイン式宴会が好きだという。そしておセンチな革命と愛の試作をするそうな。
このテントから目の前のエリゼ宮晩餐会に長い真っ白なリムジンでご到着。さて、料理だが大佐は小食でフランス料理は召し上がらない申し出があったそうで普段はラクダのミルクとデイツ(ナツメヤシ)で生きているという。ヤギの肉料理が好物なので晩餐会はこれがメインでした。
パリ市外出かける時は大佐の乗ったリムジンの前後を100台の車が同行する。護衛のリビア軍人とさまざまな御つきである。そのたびにセーヌ川の橋を全部通行止めにしたのでパリ市長(社会党)が激怒、TVでぶちまけていました。(了)
注:カダフィはクーデターの頃の肩書き大佐を名誉としていまも使いますが、客人はかならず閣下の呼称で呼びかかえるようとのお達しであります。またカダフィが尊敬するド・ゴールの墓参りは日程がゆるさず不許可。だってド・ゴールさんはイヤでしょう。
参照:コラム「米、カダフィを承認」2006年5月16日