●死んでも……離しませんでした
「木口小平は死んでもラッパを離しませんでした」と、これは聞き伝えに耳に残る戦前の軍国教育に使われた日清日露戦争の美談を、この写真から思い出しました。
http://uk.reuters.com/article/UKNews1/idUKL23859220070927
路上に倒れた長井健司カメラマンです。ロイターの写真をそのまま拝借するのもなんですから上記サイトの右上二つ目をクリックすると写真が拡大されます。長井さんは半ズボンにサンダル履き、倒れた右手にしっかりとビデオカメラを持っています。ヘルメットの兵隊もサンダル履きで取り合わせがなまなましい。
場所はヤンゴン中心部、金色に輝くスーレ寺院にく、先日1000人の僧侶抗議デモがあったところである。この「スーレ寺院」が「天安門」事件のようになるか、最悪の事態を避けられない可能性はある。
●ビルマ、ラングーンの呼称
ミャンマー、ヤンゴンの名称は宗主国イギリスが改名したビルマ、ラングーンを軍政が国際呼称として元の名前に戻した国名・首都名である。復名を認めたくないのか、イギリスはじめ欧米のニュースはビルマ、ラングーンで通すメディアがある。
で、思い出したように「ビルマの竪琴」(英訳)を読み返すと、水島上等兵もモンクたちもとてもヒューマンで政府不在である。ミャンマーからは見えないヒマラヤを慕い、雪解けの清水に「たぎる心をあの冷たい流れに沈めまし」"I wish I could bathe my burning heart in that icy stream"と,唱うモンクたち。そのモンクの末裔たちは兵隊たちにいいようにされ、寺院にカンヅメにされてしまった。
●豊富な天然資源と米どころ
ビルマのウ・タント国連事務総長は近年の総長たちとは比較にならないくらいイニシアチブをとった偉大な国連人だった。故郷のな母親が事務総長のなんたるかを知ってかしらずか、綿々と『早く帰ってくだされ』と息子に懇願する手紙は胸を打つ。またビルマはルビーや鉱物資源、原油があり、米がよく獲れる。日本人は外米とハナにもかけないが、戦後のビルマ・ライスは世界中に輸出されるコメの国でした。ビルマの僧侶とは托鉢僧のことでお椀をもって毎朝托鉢に出る。この国の僧侶の数が人口割で世界一多いのは、ご報謝で食っていける事情が小さくない。
●04年のミャンマー民主化を阻止した中国
そのビルマが軍政45年の現在、アジアの最貧国に落ちた。軍政は原油の高騰から食用油まで1年で5倍に値上げしたが、国民が羊のように従うと思ったのだろうか。98年の民衆抗議を鎮圧しクーデターで軍政を掌握したタン・シュエは正体がわからないような人物、一見好人物にみえるが、民主化を進めようとしたキン・ニュン首相を突然解雇して諸外国に冷や水を浴びせた。あれは中国の圧力とおもうが、この点は余り追求されなかった。
●がんばらないガムバリ国連特使
国連がミャンマー政府に派遣する特使なんてのはいつも鳴かない小鳥で、スー・チーさんの軟禁すら全然捗らない。イブラヒム・ガムバリ特使なんてのは前回同様、あちらは表敬訪問として外交的に応じるだけ、意味がない。中露の拒否権で安保理は裁決できなかった国連ではどうにもならない。ブッシュは中国外相にプッシュしたが良い返事はない。ASEANが異例に強い調子でミャンマー外相のニャン・ウインに武力行使を控えるよう声明を出した。ま、制裁措置にふれていないし、鎮圧されてしまえばそれでおしまいになる声明ではあるが、EUの声明よりはるかに強い注文をつけた。
●石油資源について
先に触れたミャンマーの石油資源については日本軍がいたころに相当地質調査が行われたにもかかわらず、当時の技術では開発難しく、石油の質がよくないと言われていたそうです。ノルウェーの石油開発社にいたころ、民主促進派の首相が更迭される前、ミャンマーの案件セールスに東京の石油開発会社10数社をわたしがカバンもちして回ったけれど、質が悪いのあっても少量だのとイヤミばかり言われた。いま中国が、インドが、フランスのトータル石油がミャンマーで油井を掘っているではないか。(了)