安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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アッツ島玉砕の遺骨
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〈 2007年 7月 18日 水曜日 )


●北方戦線、玉砕の島
硫黄島玉砕は映画『イオウジマからの手紙』でひろく戦争を知らない親子世代に知られるようになり、陸軍中将栗林中道の名前は東郷元帥なみに有名になりました。けれどもアッツ島玉砕はさほど知られていない。このほど日米共同(厚生省と米海軍アッツ島守備隊)、で旧日本軍兵士の遺骨調査が行われ、この調査の結果を判断して収集作業を実際に行なうか、困難により諦めるかを判断するという。(AP, 時事)

日本からの遺骨がどのあたりにいくつぐらい埋っているか、掘り起こして収集が可能かどうかなどの初期調査が、戦後60年も組織的に行われなかった。アッツ島の戦いは戦死者と自爆死をあわせて日本軍将兵2638名が逝った。投降したものはゼロ、捕虜になったものはわずか28名という凄まじ玉砕である。遺骨はこれまで米軍から返還されたものと、日本の遺骨種集団が1953年、この島で収集した遺骨を合わせて318柱が戻ったものの、まだ2300人ほどの骨が埋まったままである。

●雨風すさぶ霧の島
それというのも、アリューシャン列島は人が住んで生活できるような気候ではない厳しい環境にある。日本軍は上陸した米軍11000人を迎えて嵐と霧の中、戦闘は大部分が肉体相打つ格闘、Hand-to-Hand Combat であった。大本営から見捨てられた日本軍将兵はそうやって5月の2週間を持ちこたえ、玉砕した。当時この列島ははカナダ領だが、いまは米アラスカ州になったので、ここは日本軍が占領した唯一の米国領土である。

●死んだ兵士を見捨てるな
米軍はアッツ島奪還後、日本兵士の遺体をブルドーザーでかき集めて埋葬した。米軍によるとその場所は道路がなく、茂みに覆われた沼地であり、しかも不発弾が混じっている一帯だという。掘り起こすにはブルドーザーやショベルカーなど重機の類いがひつようである。なおかつ、お骨を扱う作業は丁寧に祈るように進めねばなるまい。海流の激しい所であり、穏やかな日は通年10日しかないといわれるこの島に機材、住居バラック、食料をもちこんでまでやる価値があるか、わたしは絶対にあるとおもう。

冬は凍る沼地に眠っているとわかっていながらうやむやに見捨てるなんてことのないよう、はこの件はみんなで注目しましょう。(了)



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