●洪水の当たり年
パキスタンからインド、バングラデッシュの洪水被害は例年より被害が大きい。特にパキスタンでは洪水が珍しいくらいなのですが、世界的に集中豪雨の頻度が多くなっている。スコットランドの大洪水も珍しかった。そう言ってるうちに当地でもオスロの南東でが洪水で水浸しになった。だいたい雨は西ノルウェーが偏西風の影響で多く、山岳部を超えた東側では天気がよい事になっているのですが、このところあべこべだ。南東の平野は中央部から長い大河となっているため暑さで一斉に雪解けがあっったときや、いまのような雨続きになると弱い。
●災害を政治に利用したムシャラフ
パキスタンに戻って、ムシャラフは平地の洪水被害を見回ったり、後手に回った救援を表に立ってリードしている。その一方でこの洪水をチャンスと見たのか、山間部で勢力を持つイスラム過激派と一戦交える挙にでました。
アフガニスタン国境に近い高地に潜むタリバンを捜索掃討し、あるいはタリバンを生む土壌であるイスラム神学校を攻撃する事をためらってきた。クーデター参謀だったムシャラフの地盤は、己の権力を絶対にするべく憲法改正、大統領職を作って自分がその地位におさまったものの、自治体制にある山間部の部族には及んでいない。
9.11によって米ブッシュとテロ対策に取り組む同盟関係にってから、足かけ6年以上もムシャラフはブッシュとカルザイの圧力になんだかのと本腰を入れなかった。やっといま遥けくも来たものよ、ブッシュから欲しくはない激励を受けました。
●モスクにたて篭ったシャリア学徒
さて、山間部は相変わらず難しいが、イスラマバードの通称赤いモスクにたて籠ったイスラム神学生を装甲車で包囲、銃撃戦で治安隊員を含む30人ちかい死者を出した。篭城したのはもう一ヶ月以上まえだったか、イスラム戒律に厳しい大物判事をクビにしたことに対する抗議の一環である。
わたしはこの事件で東大安田講堂にたて隠った全学連ゲバ学生をおもいだす世代なのです。彼らはヘルメットと手ぬぐいで覆面し、石と角棒とモロトフカクテルで戦った。いまにして思えばカワイイ反抗でした。モスクと付属の神学校(マドラサ)にろう城しているのは銃を持った学生だ。ほかに盾に利用されている女・子どもと近隣アラブ諸国からプロのミリタントが混じっている。
女や子供を殺せばムシャラフは窮地に追い込まれので軍に突入を許さない。とはいえもう一週間になろうとしている。いつまでも投降を待つというわけにもいくまい。後2日がヤマバとなろう。(了)
余談:篭城の宗教指導者であるガジの兄はエライ師で、このえらい師がモスクからブルカに身を包んで逃げる所を治安兵に逮捕された。ブルカや尼僧の衣服は男が逃げる時に使われるので珍しくもないが、この場合、僧正さまが尼さんにバケて逃げた。シャリアの戒律に筆禍っからないのだろうか?