安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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グリーグ夫妻の愛なき生活
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〈 2007年 6月 3日 日曜日 〉


●渡り鳥の夫婦に定住地
近代に至るままで音楽家にはボヘミアン的に定まった居住地を持たない者が多い。グリーグは『ピアノ協奏曲イ短調』が大ヒットし、時代の寵児となったので、20代初めからヨーロッパ各地への演奏旅行に忙しかった。それで自分の家をベルゲン郊外「トロルの丘」に建てたのは友人たちの強い奨めと言われているが、当人も40歳を越して体力的な衰えを感じていたからでは、と思う。

グリーグの家は塩水湖に面した広大な敷地にある。作曲には海のある環境で孤独が好きであった。グリーグのような閉じこもりタイプにはうってつけの立地条件が揃っている。だからノミの夫婦(ニーナ夫人は151cm のE.グリーグより2cmほど上背がある)が、なぜか天井が4メートルもある1-2階とロフト、地下室のある家を建てておきながら、海辺に六畳くらいの「作曲小屋」をつくり、誰にも見られないよう窓は海に面してひとつだけ設えた。もちろん小屋へは妻のニーナも寄せ付けなかった。

●放蕩妻から家出はしたものの
ま、ニーナさんは小屋まで見に行くような人ではないのですが。さて、48歳の抵抗ではないが、ニーナ夫人との不仲、芸術的創造の不安が母の死をきっかけに、グリーグは堰を切ったようにニーナと別れる決意をし、かつ実行した。

ソプラノ歌手だったニーナさんは、歌う小鳥のように自由な生活、派手な交友関係がった。つまり浮気が絶えない。グリーグは片肺でしかも渡り鳥のような演奏活動に明け暮れていたので不規則な食事、カキやキャビアの贅沢料理とシャンペンの生活だった。健康によいわけはない。で、ニーナも料理は苦手で、新居での料理はお手伝いさんに任せっきりである。

ニーナさんが夜遊びに出ているあいだ、E.グリーグは2階の寝室ではなくロフトで寝たそうです。と、これはいま2階に住み、グリーグが寝たロフトで眠り家を見守っているリッツィー・サンダールさんのお話。美しい老婦人のリーッツィーさんは訪ねた事はないがおそらく50年以上、グリーグの家に住んでいらしゃる。内緒ですが、シーズンオフの閉館中でも、お願いすれば彼女が鍵をあけて直々に案内してくださいます。

さて決心したグリーグはパリにいるノルウェー人で若く美貌の画家Leis Schjelderupに会いに行く。しかしパリに来てから、踏み出せば後へは戻れない岐路にたち躊躇し、結局男性の友人たちとしばらくのんびりしてフランス語の勉強などをはじめる。そういえばグリーグのライプチッヒ時代、ドイツ語は理解したのか東洋人は疑問におもう。しかしそのような自筆はなくまるで問題はなかったようです。実家が貿易商でスコットランド系だから英語とドイツ語はノルウェー語とおなじくらい出来たとおもわれる。だって、ノルウェー語は英独語を足して二つに割ったような言語なので理解が早い。

思い直してニーナのもとへ帰り、友人の助言でノミの夫婦はイタリアへ旅行。これからの夫婦のありかたに合意して撚りを戻しました。グリーグの歌曲をニーナが歌いグリーグが伴奏する公演依頼が多かったので、二人はビジネスライクに一緒にいる必要があった。夫妻の愛は結婚後数年で色あせ、表向きの惰性ではなかったか。二人が別個に書いた記述に睦まじい箇所もあり、また抒情曲集など愛とロマンの音楽が最も多い。それを選び増幅して一般的な伝記には仲良し芸術ペアーとして描かれるが、グリーグそんなに単純でイージーな人間ではない。偉大さは別のところにある。

ニーナさんは贅沢な人である。厳寒になると木造で4メートルある天井は不利だ。ストーブでは間に合わない。ニーナさんは雪が降るとホテル移りたがったし、グリーグの健康にも良くないので南欧に演奏旅行をしない冬の間、毎冬ホテル住まいとなりました。
(了)



Pnorama Box制作委員会

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