●フランス、ダチ法務大臣
まず、サルコジ大統領は新政府に男女平等数の約束通り女性を7人任命した。重要ポジション、首相、外相、など重要ポジションはやはり男性が多いものの、法務大臣にダチという女性が決まった。選挙中顔を見せない夫人に代わって、いつも側にいたのがこの広報担当だった女性。モロッコから来た父とアルジェリアからきた母をもつ北アフリカ移民の子である。サルコジ内相の移民同化アドバイザーをしていた。
ダチは1965年生まれの若さ。わたしは東京ポリンピックの年までに既に就職してたので、65年生まれと聞くとベビーと思ってしまう。フランスの移民暴動と言えば北アフリカ系移民の子である青少年が主流で、サルコジは治安面に厳しいからといって、差別的な人間でないことがわかる。この女性は16歳から資格なしのヘルパーとして病院ではたらいてきた苦学の徒、サルコジと境遇は似ている。
● レバノン混乱
シリアが撤退しイスラエルが撤退したあとのレバノンは、反政府デモが激しかったがこのところ平穏で、シニオラ首相の指導力が地についた様子だったが、パレスチナ難民キャンプに火がつきました。ベイルートでもイスラム地区マーケットで爆発があり、根が深いだけに今後どう発展するか。政府軍が一旦は鎮圧しても火種がいっぱい燻っている難民キャンプは100年の問題を抱えている。
レバノンには数カ所、パレスチナ人の難民キャンプがある。キャンプといっても、イスラエル建国のときに逃れて住み着いた居住地で、古びた石やコンクリの建物が、密集している番外地である。建築規制がないので不法建築でもないか。地震がきたら全滅する地区である。ここはパレスチナ人の自治に委ねられており、レバノン警察が入れない地区である。政府無介入ためのインフラが行き届かず、覆面の自警団が闊歩している。
●半世紀以上の難民生活
イスラエルに土地を追われた難民は、代換地、引っ越し先などの取り決めによって移住したわけですが、その地で自活の基礎が作れず絶望の半世紀を送ってきた。パレスチナのファタ派は歴史とともに変化してきたが、外地のファタ組織は昔のままの反イスラエル武力闘争を継続しとしてレバノンのノン・イスラムを攻撃する。、いま政府軍と争っている『ファタ・イスラム』Fatah al-Islamはこの難民キャンプ(Nahr al-Bare人口4万人、トリポリの北東郊外)の武闘過激派でテロリストを養成し、アッバスを支持する親元のファタ派と断絶状態にある。(了)