安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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ブレア、偉大なコミュニケーター
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〈 2007年 5月 11日 金曜日 〉


●6月27日、ブレア幕切れの日
今日はサルコジのフランスについて、ロワイアルの社会党凋落について一筆と思っておりましたが、ブレア退陣表明に気が移りました。ブレアは約束を精一杯守る。一年以内に辞めると言ったのが昨年9月、一週間ほど前には9日ごろに表明とか意向を示しました。で10日に地元の労働党クラブで来月の27日に辞任すると、ブレアは地元の党員有権者にまずお知らせにいきました。

ブレアのことはコラムにいくつ書いたか。ブッシュ支援に作ったドシエのこと、それがSEX-UP(関心を引くためのねつ造)だったこと、その資料作りに携わった科学者ケリーが自殺した事、官邸の黒幕キャンベルのこと等々、つらいことも多々ありました。

ブレアほど颯爽とイギリス政界にデビューし、サッチャー、メイジャーと続いた保守政権を圧倒的な支持で奪取した。イギリス労働党は労組の力が強く、鉄鋼労組の委員長が黒幕にいたが、ブレアは労組の匂いがなく、従来の労働党党首とはひと味ちがう。実際労組からの財政援助をカットし、そのため側近が企業からウラ献金を集めていた。この側近は辞任、ブレア首相自身も警察に参考人として呼ばれた。

●ブレアに啓発をうけた首脳たち
10年以上も首相の座にいれば悪い結果もある。イラクの泥沼化がその最悪ですが、では同盟国としてフランスやスペインのような行動がとれるかといえば、出来ない相談です。米英豪は肩組み合っての靭帯に結ばれ、東欧が勇んで駆けつけたような日和見的参戦ではない。ブレアは同盟としてブッシュに最も厳しく注文をつけた首相である。環境、エネルギ、アフリカの貧困撲滅などの提案ブッシュから色よい反応は得られなかった。

プーチンに向かってもロシアの人権、民主主義の後退に苦情を言う。だからプーチンのブレア憎しが増したのだが、プーチンはブレアの若い行動力に啓発された政治家として出発した。プーチンが大統領になって最初に電話したのがブレアです。論争激しい二人だったが、いまでもプーチンはブレアを最も優れた西側の指導者とみている。

そうそう、サルコジもブレアをお手本にしてきた一人です。いつもブレアの肩を持つのでシラクの覚えが悪かった。シラクはブレアをEUの足かせと見なしている。なぜブレアに惚れ込むリーダー多いかのだろう。ブッシュをはじめ、ムシャラフ、シモン・ペレス、先に述べたプーチン、サルコジなど右から左まで連なっている。もちろんわたしのような市井のブレアファンは多い。

● The man of conviction
ブレアは書生っぽい真剣さ、誠実、信念、一所懸命、敵味方に関係なく押し掛けても談判する行動力、偉大なコミュニケーターとしてこの10年に各国首脳と直談判した回数はダントツにちがいない。その真っすぐな態度が敵側からも安心して話し合える相手と容認された。

そしてこの美点が政治家のサーバイバルには欠点となり、わたしなんか適当に国民の総論と妥協したり、2枚舌をを弄するハラグロさがあれば、国内批判を避けられたとおもうのですが、それだと魅力のうすいナミの人間になってしまう。イギリス最大のデモに何度も遭遇しながら信念をを曲げなかった。ブレアはブレアのように生きるしかない政治家。

みなさんブレアの功績を過小に評価しているよういですが、労働党を市場経済の社会主義に改築し、教育・医療制度改革、年金、労基法の改正など見るべき成果は多い。そのうえイギリス経済はこの10年上向きで、ヨーロッパのどこよりも失業率が低くなった。経済成長率は先進国なりに高い。欧州金融センターとしてのロンドンの地位はより確実になった。少々インフレ気味で都市部の住宅は高くなりすぎましたが、利率は今日から5.5%、景気がよいからの抑制政策である。

表明スピーチではブレアは万感胸に迫り、泣き出しそうに(時々なる)なっていました。誤りがあったかもしれないがこの事だけは解ってください、と前置きしてモI did what I thought was rightモの箇所がメディアでは揶揄もふくめて引用される。しかしイラクの自説にはなかなかいいところがあり、大いに借用しようとおもっています。さて2 7日、ブレアはEUとG8を見届けたあと、ゴードン・ブラウンが党首に選出される。(了)



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