安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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再び、エリツイン
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〈 2007年 4月 25日 水曜日 〉


●プーチン七変化
さて、昨日『礼砲も賓客もないエリツイン葬儀』を」書いていた頃、クレムリンではエリツインの遺体をモスクワ最大のロシア正教カテドラルに安置を決め、プーチンの大統領衛兵が棺の脇を固めた。棺をロシアの3色布で覆い、市民の弔問を受け、国葬の体裁である。

在モスクワ公館から葬儀参列の申し出が相次いだため、急ぎ遺族のプライベート葬儀を水曜日に延期してもらい進行を相談。しかし葬儀そのものはプライベートであり、クリントンや、パパ・ブッシュ、当地からヤグラン国会議長が出席するのはプライベートとなっている。

国葬といっても、ロシアになってから初めての行事であり、未亡人への年金や公用車使用などの規定はあるが、葬儀形態がないという。そうでしょう、ソ連共産党時代は教会でできなかったの。このカテドラルはスターリンが破壊し、エリツィンが1990年に再建した金ピカ大聖堂なのです。計画進行の手順を官僚グループが徹夜で作成した。ギリシャ正教では3日目に埋葬する決まりだそうで、水曜日は動かせない。でもイスラムでは死亡当日の埋葬が原則(でないと昇天できない)だから、少し余裕があって幸いでした。

葬儀の模様はロシアのTVがナマ中継する。弔意スピーチの人選、順序、時間枠など気になるオタクになってしまったわたし、とても見たいと思う。

墓地はモスクワ南のノヴォデヴィチ、ここには『カモメ』の作家チェーホフ、『ピーターと狼』の作曲家プロコフィエフほか、靴で国連演台を叩いたフルシチョフが眠っている。最もロシア人らしいふたり、エリツィンとフルシチョフが同じ墓地に……けっこう良い時代なのかな。でも隣はエリツインを毛虫のごとく嫌ったゴルバチョフ夫人のライサ、するとここにいづれダンナも入るでしょう。いやはや。

●放送されなかったチャイコフスキー
墓地への行進は国葬規定に従がい衛兵と軍に警護され、沿道で送る市民が見られるだろう。終わりよければ全て良し。が、始まりはヒドかった。TVはエリツィン死亡を臨時ニュースにしなかった。有名人がなくなるとラジオではチャイコフスキーを流す。番組途中で『悲壮』の第2楽章が流れると偉い人の逝去報道が始まる仕組みに成っているが、エリツインをどう評価するか、プーチンの顔色をうかがって出遅れたのである。まさかプーチンがあれほど好意的なエリツィン評価を口にするとは思っていなかった。わたしも狐につまれたような……これだからプーチンは手強い。

かんべえさんが近くを歩く人のように身近にエリツインを書いておられます。あんな風にうまくドシタラ書けるのかな。なかにエリツィンとテニスのエピソードがあります。読みかじりしてきた記憶に、このテニス好きの御大が2月のなんとか国際試合観戦に現われなかったので、おかしい、病状悪化のウワサになりました。それほどテニス好きだったのですな。お相手に指名された人は走れない御大の機嫌を損ねないようにタマをエリツィンの手の届く所に返す。すると御大はスマッシュを決めてニタっと。

●21世紀を新世代に明け渡したエリツィン
エリツイン最後のスピーチ、21世紀を前にした大晦日、TVでの引退声明は何度も読み返しに値する絶唱です。英文書き取りはGoogleでYeltsin's resignation speech と入れるといろいろな英訳がでてきます。
少し抜粋すると、次の箇所では後継に選んだプーチン像と、我々権力に長くいた者は去るべきと語る。
Russia must enter the new millennium with new politicians, new faces, new intelligent, strong and energetic people. As for those of us who have been in power for many years, we must go.
以下では経済改革の失敗と国民にあらぬ希望を抱かせたことを率直にる。
I want to ask you for forgiveness, because many of our hopes have not come true, because what we thought would be easy turned out to be painfully difficult.I ask to forgive me for not fulfilling some hopes of those people who believed that we would be able to jump from the grey, stagnating, totalitarian past into a bright, rich and civilized future in one go.
ここはブッシュさんの耳に痛いところ。
I myself believed in this. But it could not be done in one fell swoop. In some respects I was too naive.

全てお見通しであった洞察、正確な判断、平易でしかも高い文学性に感服しました。初期のエリツインにファンとなったジャーナリストが多かったことがいま頷ける。

●お見事な引退ぶり
エリツイン・ファミリーと呼ばれるクレムリンの閣僚や官僚を後継プーチンが一掃してKGB仲間で固める過程でも、エリツィン・チルドレンのオルガルキを刑事的に排除、逮捕した過程でも、当のエリツィンはプーチンに抗議しなかった。プーチンの逆行路線にも黙して語らなかった。歌舞伎役者が袖に引くような見事な退場である。引退政治家、引退経営者諸氏は肝に銘じておくべし。

民主化を進めようと試みた同時代のロシア政治家に、ゴルバチョフとシュワルナゼがいる。なのにエリツインが圧倒的に大きく語られるのはなぜか。クリントンが『互いの主張にいくら隔たりがあってもリラックスして話が出来る』とうまいこと言いました。部下にとっては蛇に睨まれたカエルのように萎縮してしまうのだが、たしかに率直でいつも本気、ごまかしたりせず要点をつめるのが早い。その意味ではグズラグズラ喋り続けるゴルばチョフのタイプはいくら真面目で誠実であっても煙たがられる。同士でライバルのエリツィンに追い出されたゴルバチョフは今日も批判がましい口ぶり。この人も葬儀に出席するのでどの辺に座るかみとどけよう。(了)



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