安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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独裁者ワースト5(3)
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〈 2007年 1月 13日 土曜日 〉


 #1 オマル・ハッサン・アル・バシル、スーダン (1-1)
ワルチンスキー氏は語る:ダルフール紛争では数十万人が殺害され500万人以上が故郷を追われた。スーダンの難民の様子を、メディアから受ける印象では自然災害のように受け止め、津波と同じように考えている人が多い。しかしこれは一人の遂行者、18年前に軍事クーデターで政権奪取した軍トップのオマル・アル・バシルに責任がある。バシル大統領はサウジのアブドラを真似て、イスラム原理主義の一派のみを許可、背くものには死刑で罰した。オマル・アル・バシルはこの世で最多数の人間を殺害した独裁者、ワースト#1である。

私感:さて、上の顔写真を見て、これが最悪の独裁者スーダンのバシル大統領(Omar Hassan Ahmed al-Bashir)と言い当てる人は、よほどの国際通か「虐殺オタク」であります。バシルは西側メディアが嫌いでなかなか写真を撮らせない。そもそもジャーナリスとが会見したことなんて皆無ではないか、時たまアフリカの会議に臨んだところを望遠で撮るしかない。

一昨年か、ブレア首相が単身首都ハルツームに乗り込んで内戦の和平案を説得したが、その時の写真を見た覚えはないのです。イギリスはスーダンの元宗主国だからだろうか、ハッサンがまみえた西側首長はブレアだけ。そういうことで金正日のように顔が売れていない。よって、いくら広大な砂漠をうめつくす難民テントや餓える子供を見せられても、元凶を見過ごしがちである。

このところ、私もダルフールを取り上げていなかった。以前は何度かスーダンの南北紛争についてコラムにしています。南北紛争というのはイスラムが大半の北部と、キリスト教とアフリカ土着宗教が主な南部が、ちょうど半々くらいの面積比で80年代から長々と抗争してきた。南は石油が採れ、政府は北のイスラムにある。となると内戦は避けられない。南の『スーダン人民解放軍』に対抗して北はアラブ民兵のジャンジャウィードを支援して泥沼化した。それが2003年頃になると一応の和平に達し、このときノルウェーの支援開発大臣が多いに活躍したのでコラム(二冊目、南スーダン和平、Thu, 27 May 2004〉に書いたのでした。この若い女性大臣は、当地も政権が変わったので今はその任にないが、アフリカ育ちでスワヒリ語も話せた。

しかし、野盗の群れとなったジャンジャウィードが村々を略奪.放火と村民殺戮を繰り返し、チャドよりのダルフードに難民が押し寄せた。その数300万人というわけ。栄養失調と非衛生のためバタバタ死んでゆく難民。チャドに越境した難民も多い。

バシルが最悪である他の理由に人道支援を受け付けない西欧憎悪がある。この面でムガベと共通した性格だ。国連治安維持軍を拒否する。したがって停戦はその都度破られ、アフリカ連合の派遣軍はオブザーバーに徹し、政府軍と反政府軍、ジヤンジャウィードと反政府軍の停戦無視交戦をボヤっとみているだけ。過去、ルワンダの虐殺もそうだが、独裁者ひとりさえもうチョイ物わかりがよければ悲劇は半減するのだが。(了)



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