安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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処刑に臨んだフセインは平均的
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〈 2006年 12月 31日 日曜日 〉


●平均的な死刑囚、フセイン
処刑の前後をイラク国営TVが世界主要メデイアにビデオ映像を流した。絞首刑執行の部屋に現れたフセイン最後の立ち居振る舞いを、いかにも英雄的に見る報道がかなりあるが、これはイラクの外にあって中東各地に駐在するジャーナリストに共通している特徴だ。また、処刑によってスンニのテロ攻撃が激しくなると特に強調するのも中東特派員に共通している。人は土地の空気から自由ではありえない。

最後のひとりまで戦うと豪語しておきながら隠れ逃げまどい、モグラのように穴に潜んでいた成れの果てが、開き直って英雄にカムバックできるほど世の中あまくないぞ。

わたしの印象は、諦念した人らしく挑戦的な態度は消え、言われるままに手順を受け入れた。後ろ手に手錠をかけられているのでかえって見苦しくなく、尊厳を保ちえたのがよい。しかしこういう態度はいまさら執行吏にジタバタしてもムダと観念した死刑囚の大半が示す『悟り』といわれる。フセインだからというわけではない。ただ上告が破棄されて死刑確定してからわずか4日目、フセインの表情には、事態を完全に把握していないようにも見えた。

●コーランをつぶやく
夜明け前の執行はバグダッドでも寒い。フセインは黒いオーバーを着ている。囚人服ではない特別待遇か。縄で首にキズがつくのをすこしでも防ぐため、黒い布をあてがってもらう。こんな親切な布があるとは知らなかった。遺族としてはありがたいだろう。執行吏とちょっとした論争、映像にはないが正面下で立ち会う政府関係者から発せられたヤジに反論することで、生気をとりもどしたフセイン。

日本では執行に際し、念仏を唱える囚人が多い。欧米では家族や愛人に話しかけたり、賛美歌をささやき歌う。イスラムではコーランの一節を唱える。モスクの活動を限定してきた独裁者フセインは宗教的ではないが、困った時の神頼みはやはりコーランである。法廷にいつもコーランを持参し、処刑の部屋にも持ってきた。

頭に被る布袋は多数が公開処刑で銃殺される場合によく使われるが、絞首刑の場合は苦悶の表情をみられたくないと望む者もいるだろう。アブグレイド刑務所で米軍刑吏が行ったカカシ頭巾にロープをかけたショッキングな裸のイラク囚人写真をおもいだす。頭巾は屈辱的だ。しかし本来は決して侮辱だけを意味しない。有罪者が不名誉な姿を画像に残したくないのは理解できる。フセインの場合、執行直前に袋を被せようとしたところ、本人が要らないというから被せなかったまでのことだ。

『ムハンマドよりほかに神ななし。神は偉大なり』と、イスラム教徒のデモでおなじみの「シャハダ」を呟いてる。おなじ文言を法廷では判決を遮るように大声で挑んだものだが、あの力はすっかり消えていた。翌日アルジャジーラが音声付きで放映した『瞬間』は『ムハンバド…』と復唱したところで落床。

●ネット世界市場最多の反響
処刑に対しては千差万別、いろいろな意見がある。ネットに書かれる意見はこの事件が史上最多数だろう。国際メディアの投書やブログは花盛りである。裁判のシステム、ジャッジの選出、シーア住民殺戮の一件だけで死刑にしたので残り幾多の事件は究明できない、虐殺は国際法廷の管轄、人権と死刑廃止論、イスラムの聖日に処刑すべきでない、欧州左派系のメディアやバチカンなどのお決まりの非難、等々いくらでもある。が、私的にはこの処刑が年内に一段落してたいへんよかったとおもう。

イラク国内の宗派抗争にフセイン処刑が影響しないとはいわないが関連は薄い。リビヤが3日間の喪に服す決定も実際の影響はゼロ、カダフィ独特のお笑いショービニズムです。さてこの日、イラクでは連続カーボンブなどより死者70人、日常茶飯になった惨事の範囲である。うち米軍6人死亡は、ちょっと突出しているが、警戒に出張っていた米兵が狙撃の標的になったため。ブッシュさん、言わんこっちゃない、増派はキケンです。(了)



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