安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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米、カダフィを承認
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〈 2006年 5月 16日 火曜日 〉


●変心したテロリストのパトロン
アメリカがリビアを「テロ支援国家」から「ならず者国家」に変更、そして月曜日にならず者国家リストから公式に解除、国交を開く決定をライス長官が発表した。

カダフィ大佐が核兵器およびWMD全般を廃棄すると変心したのが2003年、あれは歴史上の珍事でした。その前からパンナム103機/ロッカビー墜落事件の容疑者であったリビアの諜報員をヘーグに引き渡し、また遺族に多額の賠償を申し出て西側との和解を見せ始めた。その辺の事情は何度かコラムにしているので、私の「カダフィ可愛や」は知る人ぞ知る。あくまでも大佐の性格の一部が妙に好きなので、あたりまえですが過去の言動・行為を言うのではない。

テロリストのパトロンであったカダフィは、サウジやエジプトの反カダフィトップの暗殺と暗殺未遂、テロ華やかし頃のPLO,IRA,ブラックセプテンバーなどをバックアップし、小物では日本赤軍とパレスチナ混合グループがハイジャックしたアムス行き日航機の着陸を許可し、メンバーを保護した。もうだいぶ前のことなので殆どわすれましたが、乗客がリビアの空港で解放され、日本政府はカダフィ大佐に感謝したのでありました。政府は赤軍の要求を呑んで留置の仲間を釈放したのですが。あの頃の日本政府はテロリストの言いなりでした。

●ベドウイン出身カダフィ大佐の奇人ぶり
そんな我が国をカダフィはどう思ったのか知らないが、西側諸国を当たり散らしていたが遠い日本を非難したことはない。少しカダフィの奇人ぶり挙げて見よう。カダフィは砂漠の遊牧民ベドウィンの出身である。親の代には定住し農業を営んでいたらしいが自身は今でもベドウィンテントで起居することが多い。訪問の賓客を迎えるときは宮殿ではなくテントを使う。レーガンがカダフィ殺害に夜の空爆を行った日もカダフィは砂漠のテントにいて一命を取り留めた。

軍人になったころ、ナセルのパン・アラブ主義に感化され、王制転覆のクーデターに成功(1969)、そのときの階級であった大佐を今も名乗る奇人である。首相から大統領制にしてそれを終身制に改変しようと企むアイツやコイツと異質な気性がおもしろい。革命評議会議長として実質上リビアの首長ならそれでよいのだろう。しかしリビアのすとロングマンに留まらずアラブのリーダーのように振る舞うので中東の大国、サウジやエジプトから憎まれていて、そこがまたおもしろい。

●アラブ式福祉国家の夢
パン・アラブ主義と同時に近年は福祉国家を目指す独特のイスラム社会主義を標榜するようになった。それがうまく行きそうにないため西側は小馬鹿にするが、WMD廃棄の理由は経済制裁がジワジワ効き出したことと同じくらい福祉国家にしたい欲望がカダフィの心にあった……ではなかろうか。

ともあれ、リビアの米代表部と米がトリポリのベルギー大使館に間借りしている米の代表部が、それぞれ7月には正式の大使館になる。そして妥結したパンナム103の遺族賠償が実際に完了する。カダフィの米公式訪問だってあるだろう。元、世界のテロリストの公然たる黒幕が、いくらテロは止めたからといっても米が許容するとは。常識ではかんがえられない。もちろん米側にはこのご時世、石油目当てもあり、イランへの例示もある。
カダフィはイギリス軍で訓練を受けたこともあり、奇人であるが、狂信的ではない。イカツイお顔に似合わず政治を抜けばシャイでセンスのよいカダフィである。近年はそのイズム政治が抜けてきた。(了)



Pnorama Box制作委員会

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