●初期キリスト教徒のグノーシス主義
ユダはローマのポリスに「私が接吻する人がその人だ」と含めておいて……ゲッセネマの夜明け………主に「先生いかがですか」と問いかけ接吻。それを合図にキリストは逮捕された。裏切りのユダ。そのまえにユダが裏切るキリストの予言があり、動かしがたい信仰の一部である。
もうずっと古いことですが、ユダヤ神秘教についてイスラエルの知り合いの奥さんが講義するので教室に出た。神学思想らしいがサッパリ解らん。しかしなんとなく精神と肉体を分離する「グノスチス」というイズムがあって、それは日本語でグノーシス主義と言われるキリスト教異端の一派だとあとでチェックした。この派は神学問答のほか、幻のトマスの福音書やマグダレナのマリアによる福音書を著したと言われている。
●ユダの福音書
そこで今話題になっている「ユダの福音書」ですが、今度はじめて解読された「ユダの福音書」によると、裏切ったのではなくキリストに頼まれて協力した、主はいちばん信頼するユダにこのことを託した」。そういう記述ではないが解釈はそうらしい。その語法と解釈がまさにグノーシスチックであるというので驚いた。この部分の解読は科学的に証明されたので、認めるもへったくれもない。
ユダは協力者、イエスが肉体を離れて霊になることを助けたのだとする解釈はグノーシス派の解釈で、したがって異端とされた。グノーシス主義はユダを崇めると大概の日本の神父も牧師も、したがって信者さんの見方であったが、いまはどうなんだろう。へんてこの弁明はしない方が信仰のためとおもう。キリスト教世界の傾向はどんどん敷居を低く、あらゆる社会現象を抱擁する方向が大勢で、教理を厳格に求める排他的な組織をはるかに凌駕しているこんにち。宗教界への影響は限りなくゼロである。
●財布をまかされたユダは悪人か?
私はオクテなので独立して食べるようになってから気づいたのであるが、イスカリオテのユダはイエス・キリスご一行チームの財布を預かっていた。財政担当なのである。お金をまかせるなら誰を選ぶかといえば、デキの良さより信頼だ。正直で信頼できる者がいちばん。ユダは人相悪く描かれるがそういう性格の人物ではなかったか、世俗のわたしは思うのです。
初期キリスト教の考え方ではイエスの生涯はすべてゴッドの計画にあり、ユダの裏切りも十字架も1から10までゴッドのプランである。そういうサジェッションはヨハネ(13章21-30)やマルコの福音書にある。手元にお持ちならぜひ読んでみてやってください。ゲッセマネの夜を詳細したマタイを26章14から読むとそこいらの話、神の計画の成就について時間を追って記されている。ただユダを裏切り者として扱っている点が突出している。
ユダの福音書はもちろんユダが書いたのではないし、誰かがギリシャ語で記し、誰かがコプト語に直した翻訳版の写本である。非常に短かく、いまなら12p-A4でプリントすれば10ページくらいの短編だ。イエスの行状が聖書の4福音書と合致するのか、甚だ怪しい。またパピルス紙はほころびだらけで欠損部が多く、全文解読は残念だが期待ウスだ。(了)