●イギリス招待旅行
コンドリーサ・ライスはタフだ。タフというのは、政見・発言がたとえ『バプーチンのロシアにはG8議長国として疑問がある』など見解のタフさもさりながら、精神的にも肉体的にも超人的なエネルギーがある。木曜日からリバプール、バーミガム、ブラックバーンと3日間、先々で反戦デモに迎えられる過密日程をこなした。まず肉体的には、旅行中でも道具類も持参でフィットネス運動を欠かさないという。
この旅行は政治的な公式日程ではなく、政府間の議題を話し合うのではない。03年にライスが出身地のアラバマ州バーミンガムに、イギリスの同僚ジャック・ストロー外相を個人的に招待した返礼にストローが計画、ライスが承諾したいわば文化的な訪問のはずだった。で、歴史的に関係のある本家のバーミンガンムと、ストローの選挙区ブラックバーンというあまり耳にしない地方都市を訪れた。
ラジオや映像でできるだけ追ってみて、印象に残ったことことが三つある。
●ひとつは、ブラックバーン市庁舎の飾り気のないホールでの講演。市庁舎前でのムスリム住民のデモを当然の権利として前置きして、自身の体験を語りはじめた。既に良く知られたライスの生い立ちだが、バプティスト教会がKu Klux Klanに爆破され、そのときライスはすぐ近くの牧師である父の教会にいて衝撃を感じた8才のときの体験。幼なじみが犠牲になった事件である。南部の人種差別がひどかった時代である。イラクでのモスク爆破、その未来について思い入れの深い内容である。
●二つめは、『後のイラク戦後政策にマルチな過ちがあった、グアンタナモーを早く封鎖したい』などこの講演のなかでも、あとの質疑応答でも直裁に認めている。とはいえそれより強烈なのが、イラク侵攻、サッダム排除、イラク民主化にたいしては正当性を主張して止まない。タオルを投げたのではない。基本的にはまったく変化していない。
●そして無限の忍耐!ブラックバーンでのモスク訪問は、モスク側が抗議デモを怖れて自信がないという理由で招待を撤回した。代わりにムスリムジャーナリストと会見し、イラクやパレスチナについてのケンカ腰の議論に話を逸らしたりせず真っ向から応酬する。無限の忍耐力。カンニンブクロの緒が切れた、ってなことはライスさんにはないのかしら。
ライスはブラックバーン大聖堂ですべての戦没者を覚えてキャンドルを灯した。どの戦争、誰とは問わず、特定しないためどこからも文句が出ない。こんど長官が日本へ来たとき一考に値する。
ところでブラックバーンにライス級の大物が来たのは1932年にマハトマ・ガンジーが訪問して以来の大事件だそうで、町の風景はバーミンガムの古めかしいレンガ長屋の工場都市を一回り小さくしたくらいの無味乾燥な町……に見えるのだが。(了)