●出廷はムリbutまさか死ぬとは
スヴォヴォダ・ミロソヴィッチが病気のためをハーグの国際法廷はずっと開かれていない。いつのことか忘れたが、この法廷について『早く判決出してしまわないとそのうちドクターストップで流れる』と書いた。罪状が60以上もあってどうするつもりだ。こういうとき以前のコラムから関連項をサーチできるようにしておけば、経緯を知るに便利と思ったりするが、そんな価値あるコラムでなし、管理人に言えるギリでもない。これは独り言。
ミロソヴィッチ法廷は4年以上、後の半分は体調すぐれず遅延がひどい。死因は解剖の結果がわかるまで3日かかるので13-14日まで待つとして、ユーゴの元大統領は高血圧のほか、心臓弁膜症、糖尿病の持病があり、長いライフスタイルから起因する。独房でコロっと逝っても不思議はない。しかし8月に結審する予定だった判事たちには不覚、残念だろう。ハーグの権威失墜もある。
刑務所で急にさけを呑めなくなったのも精神的に悪影響あるかと、私よりちょっと後に生まれた人だからまじめに思いあたる。自業自得とまでいわないけれど、自己責任の部分多いに有りますね。故郷ベオグラードに住むと言うことまでよく似た弟は元気ですから。
●Ethnic Cleansing民族浄化という虐殺
さて、バルカン半島、といっても半島らしくない地域ですが、1980年、チトーが殺されてから10年の不安定を経て各地に広がった民族紛争は、複雑でスーと説明できたら天才だ。だからくだくだ経緯は省きます。だって、セルビア、セルビア・モンテネグロ、コソボ、アルバニア、はたまたコソボのアルバニア人、ボスニア-ヘルツェゴビナ、クロアチア、加えてムスリムとギリシャ正教、ロシア正教のと言い出したら私ではムリ、書いても誰が読んでくれますか〜だ。
ま、かいつまんで少しばかり:不安定に乗じた民族紛争のなか、セルビア・ナショナリズムを煽って権力を得たミロソヴィッチ(M)がコソボに反撃し、同地域のムスリムを排斥。民族浄化の虐殺『スレブレニツァの虐殺』に見かねたNATOがベオグラードを空爆。Mはセルビア民衆と軍にも見放され戦犯としてハーグに引き渡されたのです。勢いを盛り返したムスリムが逆にセルビアの村で若者全員を引っ捕え、後ろ手に転がして銃殺する恐怖の映像が最近ありました。
法廷に対する態度は、スタイルこそMは元銀行家で知的に弁述し、Sの無手勝流と一線を画すが、さてさて、サッダムとそっくりだ。まず法廷の正当性を認めない。弁護士を拒否しその役は自分で行う。違うのはMが虐殺ほか事件に関知しないとするのに対し、Sは虐殺ほか、イラクで起った事件の最終責任はSにあるとミエを切ること。しかしどちらも罪状は全部否認する。
サッダム裁判も長引くと何が起るか解らない。いまは前大戦の戦犯裁判、ニュールンベルグや東京裁判のように形だけの法廷で迅速に審判するできる時代ではないが、同時代のあきらかな虐殺戦犯の裁判はカタチだけでいい、超法規を作れとボヤきたいですな。
旧東ヨーロッパ諸国はすべて現在EU加盟国になっている。チトーが民衆の怒りを買って崩壊したとき、旧東欧共産圏から真っ先にEU加盟を果たすとおもわれたユーゴは分裂と悲惨を残していまも紛争中である。10万人が殺され数百万人が家を追われた。Mrミロソヴィッチの罪は重い。(ひとまず了)
〈 経緯を知るに便利な価値ある検索 〉
●イスラエルと南アのアパルトヘイト【その079】〈 Fri, 03 May 2002 〉
http://homepage2.nifty.com/lite/hard_column/no_nippon079.html
●ウダイ、クサイと賞金の効果【その336】〈 Sat, 26 Jul 2003 〉
http://homepage2.nifty.com/lite/hard_column/no_nippon336.html
●サッダム特別法廷はイラクの権限〈【その410】 Thu, 18 Dec 2003 〉
http://homepage2.nifty.com/lite/hard_column/no_nippon410.html
●フセインとミロソヴィッチの戦犯法廷【その515】〈 Fri, 09 Jul 2004 〉
http://homepage2.nifty.com/lite/hard_column/no_nippon515.html
●ベイルートを建て替えたラフィク・ハリリ【その626】〈 Thu, 17 Feb 2005 〉
http://homepage2.nifty.com/lite/hard_column/no_nippon626.html