安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


-------- ----------------------------------
サッダムのプライドと意地
------------------------------------------
〈 Thu, 02 Mar 2006 〉


●取り戻した法廷秩序
サッダム・フセイン被告の法廷態度が、変化してきた。当初は法廷そのものを認めず、裁判長を被告席から弾劾し、法廷秩序をぶっ壊してこのさきどうなることやら、裁判の形式、場所をバグダッドから移したほうがスムースに進行するだろう。当初の柔和で威厳のない裁判長では見込みないわ。そんな風だったが、新裁判長に交代して、どうやら法廷の采配をとるのはサッダムではなくて上の段にいる裁判長になった。この裁判長が前任者より優れているか劣るか、このケースではどうでもよい。法廷秩序を維持し、厳格に被告に命令できる裁判長がプライオリティーである。すると、このジャッジAbd al-Rahmanは正解、適任でしたな。

●サッダム・フセイン国家元首の誇りと意地
この数日、法廷では農村・ドジャイルDujailのシーア住民148人を虐殺した事件の目撃者による証言がえんえんと続いていた。1日、水曜日の法廷でサッダムは叫びもせず、ジャッジと言い争うこともなかった。『私はサッダム・フセインだ、国家元首であった期間の責任は私にある』、『他人に任せるのは私のやり方ではない』。などと、虐殺の命令を認めたものの『犯罪だって?国家元首を狙撃したヤツのことを言っているのか?』と、事件の執行は元首である自分の正当行為であり、犯罪にはあたらないという論旨である。

この論旨が今後に続く訴訟ケース全般にわたって、サッダムの弁論姿勢にあらわれるだろう。1日の法廷は今後の審理を占う上で参考になります。サッダム・フセインが国家元首であり、ほかの“誰でもない。このプライドがあまりにも強烈で、命令書のサインを黙って認め、部下がやったとか、知らなかったなどと決して言い逃れしない。さらに共同被告である7人を、『国家元首である私だけに問われるべき容疑』であるから釈放するよう、なかば独り言のように命令。つづけて『革命コマンド評議会が土地没収を発令したというなら評議会議長を裁判にかけろ、彼はここにいる』と、評議会議長であるサッダムは胸を張った。大統領は一人しかいないとも。でも、逃亡の末、穴から這い出たボサボサのサッダムとこの誇りはどこで交わっているのでしょう。

すべてイラクのことはサッダムが支配してきた自負がある。そして、この膨れ上がった自負のため、大量破壊兵器は持っていないと意地でも自分の口から言えなかった。愚かな誇りが戦争を招いた例は大小かずかずあるが、これほどほどバカバカしい意地はない。

ところで、被告が休憩中に行くトイレにはドアがないのでした。サッダムは用足し中に廷吏が呼びにきたそうで、『これでもヒューマニティーか?』と文句を忘れない。誇りたかき男にはさぞ辛いでしょう。

●ドジャイル虐殺事件について
ドジャイル虐殺というのは、1982年、サッダムがこの農村を視察中に狙撃され、暗殺未遂に終わった事件の報復として全村の殆ど400人を逮捕、148人を革命法廷で有罪とし、未成年10人を含む148人を殺害した。50人くらいは拷問途中で死亡したとされる事件である。検察側としては言い逃れできないだけの証拠書類と証言があるので一番目の審理に選んだ事件である。次回法廷は3月12日に開かれる予定。(了)
なお、サッダム・フセインの3月1日法廷発言録は:
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/DD301152-953F-4AD7-AD1E-A9851B2C3FEE.htm



Pnorama Box制作委員会

ひとこと言いたいなんでも・掲示板へ
筆者へのmailはこちらまで
HOMEへ戻る