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『私が誰か、イラク人なら知っている』
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〈 Thu, 20 Oct 2005 〉
●法廷を違憲とする大統領たち 隠れ穴で発見されたサッダムが穴から這い出してきて言った:『私はイラクの大統領である』。あれから2年近くたって、法廷に連れ出されたサッダムは依然として自分がイラク国民に選ばれた憲法上正当な大統領であると思っている。したがって法廷手続き、法廷そのものを認めない。これはユーゴスラビアのミロセヴィッチがハーグ国際法廷で開廷いちばんに主張したのと同じだが、弁護士を拒否したミロソヴッチは遥かに迫力あり、滔々とした演説だった。それに比べればサッダムは挑戦的というものの、弱々しい。 裁判長の人定質問に『お前はだれだ、イラク人なら私がだれか知っている』。にはじまって裁判の不当を繰り返し、裁判長は、『言いたいことはあとにして、先にあなたの名前だけを・・』と、こんなやり取りがTVクリップでは一部だけだが、10回ぐらいあったという。子供のへ理屈にあきらめた裁判長が着席を促すと、おとなしく座るところがまた子供みたいなサッダムである。 ●恐怖のアウラが消えた大統領たち 『被告の権利』読み上げにつづく『罪状認知』でサッダムは『無罪』と発言、これは法廷手続きを黙認したことになりますね。検事の起訴状朗読はサッダムの途中抗議を無視して、取り合わなかったが正解です。この方法で法廷の主導権と権威が判事の側に移った雰囲気ができた。 この男が大量虐殺を命令し、親族をだまして殺害した恐怖の独裁者であったとおもえない変わりようだ。開戦前、米の有名キャスター(CBSのダン・ラザーだったとおもう)のインタビューに応じたサッダムには恐怖のアウラが漂っていた。イディ・アミンもそうだったが、政権を追われるや怯えた逃亡者に一変した。ムガベも同じ道を辿るだろう。 ●法廷証言の安全性がネック さて、裁判はサッダム検察・弁護両側の準備期間をみて、次回は11月28日。この日程は12月の総選挙にかからないように配慮したのだろう。公正と透明性を守る民主的な法手続きであり、驚くにあたらない。しかし、村中、町中の男が引っ張られて殺されているのに、虐殺の命令者が国際監視のもとで民主的な裁判を享受する。被害者家族はさぞいたたまれないだろう。 国営TV中継は閉廷後になったが、イラクでは視聴率最高を記録(調査をまたず明らか)した。この裁判の罪状(1982年、シーア派住民143人を虐殺したドジャイル事件)は物的証拠が揃っているので、結審はミロセヴィッチのように何年もかからない。判決は確実に死刑だが、問題は法廷証言の安全性をどう保証するかです。いつか殺されてはたまらない。まだ名案はないようだ。(了) 法廷環境: 法廷はグリーンゾーンの中、元バース党司令本部の大理石ホール、記者さんは持ち物一切許されず、与えられたペンと紙で防弾ガラスで仕切られた隣部屋から取材。若干のカメラマンが静止画撮影を許された。裁判長はクルド人のアミン(Rizgar Mohammed Amin)と4人の判事。陪審なし。サッダムと7人の被告は最低一人の弁護士がつく。サッダムの弁護チームは5人。長女のラガドRaghad(主人は父に殺害された、ヨルダンに住む)がチームのボス。ボスが選んだ4人のなかにジョンソン時代の司法長官ラムゼイ・クラークとカダフィの娘で法学教授のアイシャがいる。
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