-------- ----------------------------------
ガザ撤退後のパレスチナ無法
------------------------------------------
〈 Wed, 28 Sep 2005 〉
ガザ地区のイスラエル入植地撤退について、開始直前までその先行きをせっせと期待をこめて書いてきたが、撤退が予想どおりスムーズに完了してから一ヶ月半、このテーマから離れていました。撤退後の入植地で起こった無法ぶりに愕然、はっきり言ってもうどうにでもなれー、イヤになっておりました。 ●パレスチナ市民と自治政府のギャップ 最後のイスラエル部隊が自治政府と引き継ぎ式を出来ないまま入植地を去ったときも、わたしは怪しまなかった。ここで和平の真似事は自治政府にマイナス、おめおめ出て来られまいて。しかし翌朝には自治政府の警備兵や治安軍がはいって後片付けするだろう。残されたユダヤ寺院は改装して体育館や役場、病院などに利用し、区画整理やアパート建設の青写真があるものと漠然とおもっていた。市街計画があるとも聞かなかったし青写真を見た事もないけれど、無意識にそう思っていたようだ。わたしはお人好しではないが、甘かった。何がハード@コラムかもう。でもねぇ、パレスチナ内紛の懸念はありましたが、入植跡地での無法発生を予想したメディアはなかった。FBIやモサードさえ驚いたのです。 撤退の翌朝は子供から大人まで、建材や家財、使えそうなものは悉く持ち去り、ユダヤ寺院は破壊-侮蔑-蹂躙された。ハマスのミリタントが闊歩し、自治政府の治安軍はどこにいるのか、なす術もない。アッバス政権の弱体ぶりをみごとにさらけ出した格好になりました。 ●パレスチナ後見人エジプトの怠慢 また、エジプト国境を警備封鎖する約束のあったエジプト側が、なんら準備せず、パレスチナ住民が列になって2日間自由に往来した。これなど先進国なら首長の責任問題になりえるが、ここは中東だ。ムバラクは一人勝ちの3選であと6年も居座る。 ●ケリがついたシャロンvsネタニヤフ イスラエル側では、撤退に反対していた最右翼のネタニヤフが閣議を去り、こちらも内紛です。党首選前倒しでシャロンを追い落とそうとしたネタニヤフは目論みが失敗(26日否決)、とりあえずシャロン続投がきまった。私はネタニヤフをずっと支持してきましたが、今はおとなしく願いたい。 否決の理由は、ハマスが制圧するガザ地区がいかに危険で住めないか、撤退してからよーく解った寝返り組が出たため。カッサムロケットとガザ無法状態が皮肉にもシャロンに味方した。もう一つの理由は、撤退前からの宣言どおり『攻撃を続ける者へはフルフォースでこれまで以上に厳しく報復する』を実行、ネタニヤフに負けない強硬姿勢を示した たとえ党首選が実施されネタニヤフ党首が実現しても、シャロン首相が解散総選挙に打ってでれば、小泉さんじゃないけれど信任されるのは確実だ。どっちにしろ早くリクード内紛がおさまってけっこうでした。 27日ハマスはイスラエルの報復が本格化したので、武装各派と攻撃停止を宣言した.休戦と攻撃再開を随意に変えるハマスゆえ信用できないが、良い方向です。ということで、久しぶりにイスラエル/パレスチナ問題を取り上げました。(了) |