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『憂国』の三島由紀夫
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〈 Fri, 19 Aug 2005 〉
三島由紀夫が自作『憂国』を自演した同名の映画フィルムが見つかったニュース http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050819i401.htm があった。記憶をたどって感想を記します。
三島由起夫が市ヶ谷の自衛隊ポストで割腹自殺した70年の暮れ、わたしは実家にいた。翌年の春、当地ベルゲンに出立する前である。当日お昼ご飯の台所ではじめて知った兄が『発狂したか』とショック状態でした。三島氏とさほど歳のかわらない兄はよく三島を読んでいたが、咄嗟には理解あたわず、納得行くまで夕方まで咀嚼のときを要した。 わたしは当時ヒマしていたので、朝から運動場に集めた隊員を前にバルコニーから檄をとばす三島のTVニュースをみていた。あれは正気の沙汰、行き着くところまで逝ってしまったか、動揺しつつもそんな突き放したような感じだったのを覚えている。個人的に三島作品は好きではなかった。 ハチマキと盾の会制服の悲壮な三島由起夫が、自衛隊員に決起を促す「檄」に隊員からヤジが飛ぶ。隊員の健康な拒否、三島氏はそそくさと屋内に消える。そのあとTVに映った映像は総監室の机に置かれた作家の首、小さく萎んだその首が妙に印象深い。 『憂国』は2.26事件ののウラ話、新妻と一緒に割腹して遂げる青年将校が主人公である。この映画は死の前に放映されていますね。わたしは見ていませんが筋骨粒々の本人が日本刀を半身に構えているポスターがそうだっと思う。2.26を扱った短編に『英霊の聲』がある。どちらも私のテイストに合わない。 三島が絶賛し、三島流に解釈した『葉隠れ入門』について:この武士道の奥義といわれる江戸時代の原本はウスッペライ覚え書きで、戦争の無い時代の武士の理想像について研究対象になるのが関の山。現代語訳と英訳を両方とも読んだが退屈だ。内容は滅私奉公を奨励し、日常の身だしなみを教え、考える武士を拒む指南書にすぎない。茶道の作法や、儀礼典の式次第と似て形式が全てだ。したがって、礼儀を知らなければバカにされ、わきまえていれあば馬鹿でもチョンでも立派なサムライになれる。 よく三島由起夫の精神を云々されるが、『かたち』に囚われるパーソナリティーではなかったか。割腹は名誉-抗議-恥辱など理由は様々あるが、カタチにこだわる人間が選ぶ方法である。三島の小説にあらわれる時代と場面は、特に異様でもないが、人物の思考と行動が夢想的で現実味にかける。ですから小説の構成に綻びをさがせばいくらでも見つけだせる。正反対の小説作法が『ハリーポッター』、空想の世界を舞台としながら登場人物の考え方がとてもこの世的である。 つい冷酷に書いてしまったかな……とはいえ、氏の文章は美しく,手頃な歯ごたえがあって超一級の作家であることに異論はない。また氏の声が大きく言論明瞭、TVに出演するといつも他を圧倒していました。ディベートでボスになる押し出しは慎太郎を凌ぐ。生きていれば靖国参拝の小泉首相にに檄してやまなかったでしょうな。 『豊穣の海』四部作の最後も割腹シーンでした。うろ覚えですが『赫奕(カクヤク)として日が昇る』のを瞼にみたのでしたっけ。(了) |