安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


-------- ----------------------------------
夏休みの写真(2)ヨテボリ
------------------------------------------
〈 Thu, 04 Aug 2005 〉


サンデフィヨルドからスウェーデン側までカーフェリーで2時間、両国では出入国の審査をしない。税関のサンプリングは宝くじにあたる確率だ。7階建てのカラーラインは広く、タックスフリーショップでみなさん買い込んでいる。エレベーターは持参のキャリアーにビール箱を6っつ重ねて降りる買い出し客に占領されていました。
車で国境を越える酒-タバコ類の買い出しについてこんな喩えがある:『ノルウェー人はスウェーデンへ、スウェーデン人はデンマークへ、デンマーク人はドイツへ買いに行く。事実この順に安くなる。税関でサンプリングされる心配は現今さしづめ中東系だろうか、理不尽な差別。

●豊穣の麦畑から
フェリーからそのまま道路へ、国内となんらかわりなく快適な道路を走る。ノルウェーからスウェーデンに入ると途端に道路幅が倍またはそれ以上になり、ドライバーがよろこぶ。家内は140キロで走る。私なんども止めろ-やめてくださいと怒り嘆願する。平坦な風景、大規模農場、麦畑の広がりだ。豊穣の大地、ゆたかで洗練されたスウェーデンがいやでも迫ってくる。谷の斜面や猫の額のような崖っぷちで牧畜を営む西ノルウェーから、北欧の隣国に出るたびに思い知らされる慨嘆です。

国の基本は食物自給にある。二人が逢うのは麦畑♪ でなければならない。♪If a body meet a body coming through the rye♪ それがなぜ ♪夕空晴れて秋風吹き♪ になるのか!Catchers in the rye! サリンジャーはライ麦畑で捕まえたのだ!なーんて上機嫌なのです。

    

上は観光局パンフから拝借したヨテボリの港。中央複雑な建築はオペラハウス。その裏にこの国海軍初の原子力艦が博物館として公開されている。手前の帆船は再現してバイキング博物館になっている。

息子がヨテボリに転勤になり、新居に越すまえしばらくアパートホテルに滞在中、同じAP-Hotelへ部屋を取っておいた。しかしヨテボリはわが町ベルゲンの4倍-80万人がゆったり住む広い都市である。市内に入ってから携帯で連絡し合って無事到着した。ここはもと海軍兵学校があったところでその建物群が公共的な学校や各種企業に払い下げられ、校舎は保健大学に、士官宿舎は老人ホームに、体育館はトレーニングジムに、身障者を雇用する印刷所などがある。また海港に面していてヨットハーバーや小型船の停伯地になっている。そこへ短期滞在のビジネスマンや学生用に新設されたアパート式ホテルに4泊することになった。レセプションがなく、サービスがない。玄関の暗証番号と部屋のキーを貰ってシンプルだ。が、台所設備が一応あり、家具が多くてありがたい。

とはいえママが息子と毎夜ごちそうを食べに行きたくて、朝のコーヒ以外に台所を使うチャンスがなかった。家内と二人のときはケチるのに息子と一緒だと奮発するもんですね。私としては一度くらい数ある寿司屋に行きたかったが、どれも庶民的で改まった雰囲気に欠ける。敬遠されてしまった。

●パッダン(蛙ちゃん)運河めぐり
さて、さっそく観光案内所で48時間のヨテボリカードを買う。これで全ての博物館、市電/バス、観光バス、運河巡り、要塞島へのツアーや、北欧最大の遊園地リーセベリ(オレたちには関係ない)がタダになる。たいへんお得である。

PADDAN『蛙ちゃん』というぺっちゃんこな船で市の中心部を回る運河をゆく。左は運河から見た古いドイツ教会。その左隣の特に変哲も無い大きな建物なのでカットしましたが、東インド商会で現在は市の歴史博物館になっている。大きな博物館です。石器時代からはじまるので疲れるが勉強になります。スウェーデンに唐物支那物が多いのはスウェーデンに自前の東インド商会があったため。またオランダの影響がいたるところ見聞する理由は、初代ヨテボリ市長がオランダ人で国王の右腕として活躍、オランダ人が大挙して移り住んだためである−−そんな展示もありました。

右は運河に架かる橋の下を通る時、ダックする乗客。4カ所ほど低くて背筋を延ばして座れない。ガイドさんの合図で一斉に伏せの体勢につく。1600年代、湿地帯であった岸辺に運河を堀り乾かした場所が市の中心部である。陸側に面する外運河は稜郭が並ぶ要塞壁で、およその形が今でものこっている。



Pnorama Box制作委員会

ひとこと言いたいなんでも・掲示板へ
筆者へのmailはこちらまで
HOMEへ戻る