安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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テロボンブあれこれ
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〈 Wed, 13 Jul 2005 〉


●英国生まれの実行犯
捜査の主力、スコットランドヤード・反テロ部隊のチーフ(警視庁副長官代行)がタンタンと実行犯4人についてブリーフィングしました。各紙に詳しく報じられているのでくりかえしません。身分証明書になるものが残っていたのが妙と言えば妙、でも誰何(スイカ)されそうな人物は常に持ち歩いている。そういう意味でピアノマンは例外。それから4人そろって集合、4カ所に別れて自爆(一人は逃げたか不明)というのが驚きでした。

ロンドン・メトロ警察は混乱の市街をテキパキ整理する。バーミングハムの避難騒ぎや、ブレアを首相官邸から退去させたり、それを異常と思わせないほどタンタンと事を進める。また市民が日常生活に戻るのが早い。リビングストン市長が月曜、地下鉄に乗って模範を示しているのに、乗り合わせた客はつり革を持つ人気の市長をチラっとみるだけ。そのあたりがいかにも日常のロンドンらしく感じられた。

●ロンドンで体験したボンブの夜
80年代のはじめ頃、ロンドン滞在中にテロボンブがあった。地質博物館に一週間仕事で滞在していたときですが、外で夕食を食べてから、ホテルで独りじゃつまらないので映画を観て帰り、地下鉄へゆくと通りが暗く人も車もすくない。遠くに通行止めのテープとサーチライトの明るい場所が見えた。地下鉄には不通区間の張り紙がしてある。タクシーも通らない。なんでもいいや、地下鉄に降りて泊っているレイスターまで切符を頼むと、ボンブがあったので運休停止だという。どうすりゃいいのと聞けば「反対行きに乗って○○でXX線に乗り換え▽▽から□□線を使え」と、黒い人がまくしたて切符を手に指をカタカタ鳴らしていた。「はよ金出さんかアホ」との合図。というわけで二駅のところを1時間近くかけて辿り着いた。

●人命に配慮したIRAのテロ
これはIRA がビルに仕掛けたボンブで、そのビルと向かいのビルの割れたガラス窓からブラインダーがヒラヒラしてしているTVニュースをその夜見た。死者はなし。あのころIRAのテロはちっともめずらしくなくて、翌日のミーティングでもお天気のようなあいさつでした。

人道的テロといえばおかしいが、IRAはあまり死者を出さない配慮があり、公共交通機関や、雑踏市街、市場などを爆破することはなかった。実行犯も自爆なんぞやらない。どのあたりで爆破するか予告しておき、数時間前にどこそこでと場所を特定する。すると警察がその辺りの人を避難させ封鎖するのである。バスクのテロは一般市民を狙わず、もっぱら軍や政府役人の暗殺に限定してきた。IRAにはちゃんとした政党があり、シン・フェイン党を認めてからテロは激減、バスクにはお粗末でないオープンな組織ETAがある。両方とも国境を越えるテロをやらない。

しかるに、イスラミック過激派のテロは西欧社会への憎悪が全ての根本にある。イラク参戦国を目標にするのは、彼らとて聖戦の士としてテロを正当化したい詭弁にすぎず、9.11はイラク侵攻前だったのです。(了)



Pnorama Box制作委員会

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