安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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コーラン冒涜と文明の衝突
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〈 Mon, 16 May 2005 〉


●ニューズウイークが起こした騒動
週刊誌の一記事が死者16人、負傷者100人以上を出す抗議行動を誘発した。事件とは別の観点からまず思ったこと:それだけの国際影響力を持つ週刊誌を羨ましいとおもわないジャーナリストはいないだろう。ニューズウイーク5月9日号の欄『ペリスコープ』はコーランをトイレに流して囚人に動揺をあたえ喋らせるというグアンタナモ刑務所の尋問ぶりを暴露した。

この記事の信憑性について、出所が FBI 内部のEメールという例のアブグレイブ刑務所の写真と同じ出所というのがおかしい。なぜいまになって?という疑問はペンタゴンが事実調査に乗り出すときからあった。うかつにコラム書くとハジをかくところでした。待っていてよかった、ホッ。だいたい本一冊を流すような強烈なトイレがあるか疑わしいのだが、下水管が詰まったらどうする!

●コーラン冒涜と文明の衝突
イスラム世界の反米騒ぎはキッカケとタイミングが合えば、僚原の火のように燃え広がる雰囲気にある。アフガン戦争の捕虜収容所で発生した聖典コーランの冒涜は、たちまちアフガニスタンで騒ぎが始まり、パキスタンへ、さらにインドネシアへと広がった。

アフガニスタンでは反米の矛先が外国人や国際機関からカルザイ政府の建物に向けられ、TVでは久しぶりに激高したカルザイさんが真相究明と関係者の処罰を米に要求して声を張り上げていました。国民向けもあるが、迷惑千万なはなしではある。

記事を書いたNWのマイケル・イシコフとジョン・バリーは一応ペンタゴンの官僚二人に前もって記事のコメントを求めている。大スキャンダルだから確認は当然。が、急に知らない事を聞かれたって困るよね。で、返答がイエスでもノーでもなかった。一部 NO のところは書き換えて、これでよしとバリーは判断した。判断が甘かったのはコーラン冒涜は全てのイスラム教徒に抗議暴れしてもよい口実をあたえること。

特に抗議する必要がないときは聖典を燃やそうがトイレに捨てようが問題ない。我が国では明治のはじめ廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって経典はフスマの下張りに、千体仏は束ねて薪に、奈良興福寺の五十の塔は二束三文で売り出されたが買い手がつかず燃やすのも危険なので残った。そんな時代があったのです。イスラムにも似通った歴史はある。問題化するのは他教徒が仕掛人の場合で、文明の衝突をもたらす。

●恥辱をあたえる尋問方法
囚人の前でコーランを叩きつけたり蹴ったり、ページを破いたりすることは保釈された者の経験談として拷問あれこなどと一緒に既にいくつも報道がある。しかしたいした騒ぎに発展しなかった。トイレに流すのは、可能かどうかは問わず、ショックが大きすぎたようだ。

騒ぎが大きくなった背景に2001年から裁判もなしに500人がグアンタナモに拘束されている事実がある。ペンタゴンがコーランをトイレに流した事実を確認できる証拠なしと結論、ニューズウイーク編集員ウィットテイカーが誤報を謝罪したが、通り一遍の謝りにすぎない。国防省の圧力あっただろう。記事を書いた二人は謝罪していない。(了)



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