TVは民間も含め,出版物もすべて政府=アカーエフ一家が間接的に支配しており、秘密の検閲機関が地方紙のコラムを事前検閲する。そんななかにあって、アカーエフ一族が間接支配する企業リストや、アカ−エフの豪勢な私宅などスキャンダルでうまる反政府紙が、政変をスピードアップしたことは疑いない。デモ群衆が非難するネタを提供してきたのである。
キルギス・ランダムハウスに対しても怒ったアカーエフが国営TVで封鎖をほのめかしたが、ジョン・マッケイン上院議員が「監査委員会」長をつとめるゆえか、強権を行使できなかったようだ。政変がスムースに運んでいればメMission accomplishedモと米は自負できるのだがそうはいかなかった。キルギス政界とロシアの関係は濃密である。
●ロシアとキルギスタン
1990年、ロシア帰りのアカーエフが大統領になって一気に民主化が進むと思われた。米の後押しでWTO加盟を果たし、世銀の融資、EUと日本の支援など西側は民主化の『お手本』と絶賛したが、支援はどこに消えたか、歯車が狂って暴徒によるクープに発展した。しかしキルギスタンの政治家は与野党ともに根っこのところがおなじである。ソ連崩壊後に政権を継承した政治家の多くが「ノーメンクラトゥーラ」、つまり共産党から指名される党員が横すべりしたにすぎない。現在の野党りーダーである、バキエフ、クーロフもその出身、西側がおもうほど民主化に興味があるわけではない。
新旧議会が正統を争ったりしたがすぐに新議会が暫定政権と行動することになった。選挙違反抗議がそもそもの発端だったにもかかわらず、釈然としないが「ノーメンクラトゥーラ」とはそういうもの。彼ら暫定政府はふたたび民衆蜂起がおこらないか、いまは寝た子をおこさないよう治安と国情安定に精一杯だ。
バキエフが早々に国外のアカーエフにたいし免責を申し出たのは、アカーエフ支持層への考慮・治安のためである。次のステージでは、憲法に沿って辞任交渉をはじめようとしたが、アカ−エフがモスクワから辞任と政界引退の条件を帰って話し合おうしようとすると『待ってくれ、時期尚早』と言をひるがえしたのも、治安が心配だからにほかならない。プーチンがもっぱら間に立って両者の相談役をしているがように暫定政権はロシアがたより、ブッシュの出る幕はない。(つづく)
おまけ:したのブログに暴徒に略奪された商店の写真がたばになってあります。ビシケクの青年が」デジカメ撮影したものです。
http://www.livejournal.com/users/morrire/47757.html#cutid1