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キルギスタンの暴徒革命
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〈 Fri, 25 Mar 2005 〉
● 暴徒による民主化ドミノ?
早かった。首都ビシケクのキルギス政府庁舎はアッケなく暴徒に占拠された。閣僚は辞表にサインさせられ、大統領は国外に逃げさりました。最高裁は脅されて「2月の選挙は無効」とする判断を示した。反政府活動家ウラン・シャンベトフという若い男(準備よくスーツを着用)が大統領の椅子にふんぞり返って『人民の勝利、腐敗政治とアカーエフ一家への勝利』と喋っている。 これは暴徒による政府転覆にほかならない。抗議のデモは、政府庁舎突入をはかった先端部があきらかに暴徒化していた。そいつらが庁内に乱入、備品を叩き壊し、閣僚の椅子にすわって民衆が勝ったと叫んでいる。外ではスーパーを略奪する不届きものもいる。これを暴徒といわずなんと言う、民主化デモとはチャンチャラおかしい。 キルギスにはロシアと米の基地(首都の近くに米兵2000人)があり、それぞれアカーエフ大統領とマズイ仲ではない。南の都市から抗議デモが順次ひろがり、アカーエフはプーチンに助けを求めたが、ウクライナに干渉して懲りているプーチンは会見を拒否した。ウクライナで親露派のヤヌコヴィッチを支援して苦い目にあっているから。まさか烏合の衆にベテランのアカーエフが遁走するとはおもいもよらなかっただろう。 ● 政府を投げ出したアカーエフ 米もこの抗議運動を支援してよいものか踏ん切りがつかない。民衆は野党の統制外にあり、野党そのものにも頭目がいないので事態を見守るしかなかった。やんぬるかな、グルジヤのサーカシビリやウクライナのユーシェンコにあたる独立民主化の頭目がキルギスタンにはいないのである。 各国は「力づくでデモを鎮圧しないよう、野党と民主的に話し合うよう」くらいのジョーシキをアカーエフに進言するのみ。そのためかどうか、アカーエフは厳戒令を発動せず、軍を出動させず、治安警察には発砲を禁じた。大統領府や国会を含む政府庁舎を警護する機動隊は銃を携行せず100人しかいない。どうなるか、あの庁舎前の攻防は人数の多い群衆がたちまち押し勝った。自明の理である。大統領府内には武器庫もあるが、使われなかった。死者が出なかったので後世無血平和革命と呼ばれるやもしれんが、実情はこのとおり。プーチンは暴徒デモを非難、米は民主化ドミノにおめでとうとも言えず様子見ですかな。 ●1時間で出来た暫定政府 さて、キルギスタン国会は憲法にしたがって国会議長がいなくなった大統領職を代行する。 新議長に野党のカドイルベコフ氏が選ばれ、このひとが大統領代行となる。野党連合がさきに設立した調整委員会が暫定政府として機能する。この調整委員長が元首相の野党りーダーであるバキエフ、したがってバキエフが暫定首相の地位にある。デモさえおさまれば再選挙が軌道にのるだろう。 アカーエフは家族と首都ビシケクに近いロシア空軍基地に専用機で着陸、へりに乗り換えてカザフスタンへ。しかしそこが安住の地となるか、疑問。 ところで日本とキルギスは度をこえて友好的だ。アカーエフ大統領の顔はおなじみだろう。人口500万の国、石油の無い国になぜか日本は突出した支援を行い、したがって要人の往来もやたらと多い。首都ビシケクには「日本センター」もあるぞ。キルギスは政府は悪い経済、失業、腐敗官僚を責められて崩壊したのです。支援のありかたに問題はなかったか。 余談:グルジアは[バラ革命]ウクライナは[オレンジ革命]、レバノンは[杉の木革命]と呼ばれる。キルギスは黄色い鉢巻きがシルシに使われたので[イエロー革命]か、と思っていたら、そのうちメディアが[チュ−リップ革命]と命名した。そういえばデモといっしょに黄色の花束がよく映像に出る。あれはイースターに因んで黄色いチューリップなわけ?イスラムが優勢の国に妙だな、どうしてだろう。そして23日から鉢巻きが黄色よりピンクが多くなった。とにかく統一と組織にかける群衆である。 顔・骨格が似た北アジア系人種は漢字文化圏とは限らない。アジア大陸の南にヒマラヤ・カラコルム山脈ときて西はカスピ海まで、そこから北へウラル山脈で囲われた内側は、顔だけ見るとふしぎに親近感がわきますね。(了) |