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『テントは別々に』、シリア軍撤退開始
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〈 Mon, 14 Mar 2005 〉
●シリア軍撤退のタイムテーブル
中東担当国連次長の位にあるテリエ・ロェド・ラ−センが12日シリアへ、アサド大統領から撤退日程を示された。ライス長官が「いつ撤退するのかハッキリしろ」と、アナンも加勢してしつこい。折れて国連特使と会談に応じ撤退スケジュールを託した。 実績ゼロのラーセンが、なぜこう長く同じポジションをキープできるのか、私感国連不思議のひとつ。何度もラーセン夫妻批判を書いたので、きょうは横において直、本論へ。翌日曜日、ラーセンはアサドの撤退プランを拝聴するべく畏まるレバノン大統領と首相を前に堂々たる特使ぶり。たいそうに見えるが、なに、役どころは誓約書簡をもらうクリエ(走り使い)です。イスラエルとパレスチナへは同時に親分アナンがじきじきに訪問中で、これは国連大嫌いのシャロンがめずらしく会いたい旨希望して実現。そろそろ国連とも話しをつけるべきときがきた。アナン4年ぶりの中東訪問である。 ●反シリアを凌ぐ親シリアのデモ さてレバノンの現況はというと、親シリアと反シリアのはざまに窮している政府は5月の大統領および評議会選挙をまへに混沌。同情するとしても、ラフード大統領と再登場したカラミ首相は、それでも一国の長ですか!どやしたくなるほど覇気がない。 シリアとレバノン関係のコラムはこれで3度目です。ハリリ前首相殺害後のレバノンは、果たして反シリアのデモで国民が団結しているのか、当初からわたしは疑がっていた。殺されたハリリだって親シリアの自堕落な与党に抗議こそすれ、シリア撤退は一度も主張していない。ブッシュやイスラエルがヒスボラを取り締まれといっても、ハリリはのらりくらりでした。国民、特に多数のシーア派は心情的にイスラエルに対抗するヒスボラの戦いにシンパシーがある。 そして8日、ヒスボラが呼びかけた親シリアデモに集まった群衆は数十万、40万という報道もあるくらい圧倒的な数である。野党の反シリアデモを「民意」とする米の干渉と抗議し、シリア駐留軍の治安支援を求めた。もちろんベイルートでは反シリア集会が連日紅白旗をなびかせてデモっているが、きのう日曜日また、数千人規模の親シリアデモがあった。 ● 元の木阿弥がプラス効果? 先にデモの標的にされ、火事場から避難するように総辞職したカラミ首相が、親シリアのカウンターデモに勇気づけられまた返り咲き。なんのことはない、もとの木阿弥だ。ハリリ後のレバノンは「ユーシェンコのいないウクライナ」とコラムタイトルで形容したように、 野党(主にスンニ、キリスト教マロン派)にはハリリなきあとの有力な人材がいない。したがって辞職に追い込んだ首相が再登場するのに腕をこまねくしかなかった。感情的なデモの顛末。ところがです、それが失敗だったと言い切れないややこしい面がある。親シリア首相の返り先で撤退がかえって順調にすすむよじれ現象はいったい・・おかしなおかしな革命ゴッコ。『スズメがハトを生んだ』と、ケムに巻こうとおもったが正直、わたしの頭では整理がつきませんわ。 駐留軍はすでに4千人と戦車数百台がシリア領内に撤退、ベイルートと並ぶ地中海の重要港湾都市トリポリからシリア軍が姿を消したと各通信社がつたえている。アサドが当初発表した(1)ベカーバレーへの移動(2)シリアへの撤収 という2段階方式は着実に実行されつつある。米欧の圧力以上にアラブ友邦国の圧力にシリアが屈し、スピードアップを促したと考える方があたっているとおもう。一方でアラブはレバノン国民に一致団結、挙国内閣など安易なご意見を説く。ありきたりのおせっかい、その辺にアラブ諸国の仲裁能力の限界がみえる。 翻ってアサド大統領は撤収でシリアの団結を強めました。3月中に残り1万の撤退をほぼ完了。情報機関も撤収する(検証はむつかしいが)。外国の圧力からホッとした国民の安堵感からアサドジュニアの国内人気は急上昇しています。シリアとレバノンをテントに喩えると、アラブの格言にいわく:『テントは別々に、心はいっしょに』(了) |