安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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シベリア抑留者の情報
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〈 Sat, 12 Mar 2005 〉


ロシアがシベリア抑留中に死亡した日本人の個人情報を提供する。死亡時の記録や写真、手帳なども含まれているという。もっと早く出せなかったのか文句のひとつも言いたいが、遅れても出さないよりベターである。まずはこの日経サイトをお読みください。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050312AT1G1200212032005.html

●わたくしごとですが
満州の日本兵に父がいた。馬の世話をしながら絵をかいていた兵卒だったので敗戦後数年して無事帰還できた。そのとき初めて見たゲートル巻いた馴れ馴れしいオッサンが、「お父さんよ」と教えられたが、子供心に落ち着かない、その気配を父がなくなるまで残していたようにおもう。こそばゆいけれど、両親そろった家庭に戻った幸せに感謝せずにおれない。自分で家庭を持ち、子供が独り立ちしてやっとその心境にいたりました。

第二次世界大戦(太平洋戦争)、敗戦が確実になってからに参戦した旧ソ連は、関東軍の日本兵、さらに満州開拓企業にいた民間人など約六十万人をシベリアに連行し、強制労働に使役した。寒冷地である。その結果、六万数千人が栄養失調や医療をうけられず死んでいった。昔、父が持っていたラーゲル物を読んだり、30年近く前、当地でソルジェニツィンの大作「収容所群島」を読んだ(あの頃はヒマがあったな〜)。飢えと凍土の戸外労働で寒さのためで死んでゆく仲間、連帯と裏切り者の世界です。

なぜか将校でありながら帰国を許された『不毛地帯」(山崎豊子の小説)のモデル、マルベニの瀬島隆三氏や、引退した相沢英之議員がいる。相沢氏から伺った抑留時の体験によると、ロシア語をマスターしてロシア兵とコミュニケートできることが収容所生活に役立つたようだ。戦後十数年もたってから帰国されたY氏は、神戸でロシア語翻訳をしておられたが、温厚なわりに嗅覚の鋭い人でした。

●老いゆく生存者へ補償を
10%の抑留日本人が亡くなった事実は、戦争捕虜の国際法であるジュネーブ条約第三条に抵触する。にもかかわらず日本はこれを国際問題にしたことも、ロシアに賠償請求したこともないのです。シベリア抑留博物館もない。淡白と言うか、韓国や中国にくらべると日本人はなんとも潔い民族だ。いいではないか、物欲しげにしない節操をわたしは美徳とおもっている。

だがそういい気になっておられない問題がある。いま生きておられる抑留体験者は、ほとんどが80歳以上である。この人たちにとって「強制労働の賃金未払い」は切実だ。政府からロシア側に要求してもよい、それが出来ないなら手遅れにならないうちに日本政府が誠意を示し(値切って)応じるのがスジとおもう。慰安婦問題とは次元がちがう、念のため。(了)
   



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