安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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アラファト危篤

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〈 Fri, 05 Nov 2004 〉


アラファトPLO議長の脳死をイスラエルラジオが水曜日まず放送。シラクさんが病院に駆けつけたがたいした意味はない。火曜日から昏睡混濁のアラファトは人を認識できないのを承知で、医師の説明を聞くためだろう。スハさんや側近なんぞは型通りのお見舞いにすぎない。帰りに病院前にワンサと詰めているメディアにひとこともない。そうだろう、死にそうだなんて言えないものね。 

付き添いのアラファト報道官は嬉々として喋りだした月ようびのあと、火曜日はわずか、毎日病状を報告するといっておきながら水・木曜日は現れなかった。察するに容体あぶない。イスラエルが言わなくてもわかります。なのに病院前でアラファトは死んでいないとのたもうた主任医師の軍医殿はなんだありゃ、フランスにはまだドゴールみたいなのがいるんだな。驚嘆しました。

しかし大変な報道陣、ニュースバリューがあることに小生はたいそう立腹しています。リベラルな報道ばっかりだ。ケリー寄り記事で世界を惑わしたリベラル記者を鵜呑みにしてはいけません。アラファトが亡くなればパレスチナ情勢はカオス、大変だたタイヘンだなんて、脅かさないでください。パレスチナはアラファトが健在の間いつもカオスだったので、いなくなってもカオスに変わりない。

とはいえ、やはり40年民族を率いてきたリーダーはそれだけで価値あるのでしょう。PLO(パレスチナ解放機構)設立は東京オリンピックの年、ファタ(意味は武力闘争)を設立したのはそのまだ前です。シャロンは首相になってまだ4年、小泉さんも4年、アラファトには絶望的に及ばない。悔しいがニュースバリューは認める。

【人たらし】といえばクリントンがまず思い浮かべるが、大奸もまた相当な【人たらし】であった。この人たらし同士がキャンプ・デイヴィッドでバラク首相と和平交渉をしたが、クリントンはアラファトの正体を見せつけられてあきらめた。(この辺りの事情はクリントン著マイライフ英語初版の913〜916で面白く読めます)とにかく最初は人あたりがいいので、パウエルさんも同じ間違いをした。(このあたりの事情は2002年4月18日『アラファト逆上、ドタキャンで幕引』にあり〉

4日は慌ただしく自治政府、PLO、ハマス、その他の武装各派がそれぞれ緊急会議を招集。もう少し時間がほしい。その間アラファトは人工呼吸器で延命をはかるのがよろしいようです。(了)

>昨日書きかけたアラファトの続きはボツ、パリへ死出の旅に去った人にワタクシめも人道的配慮をいたします。<
(30日、なんでも掲示板)だったのですが、まいいか、書きかけたのを抜粋しておこう。
●アラファト最後の破顔大笑と留守居の疑似クーデター
パリの病院に入るや各国から見舞い状をもらい、いっかな忘れていた脚光を浴びた心地で、気力一転上機嫌だそうです。ま、寝たっきりですが。

死出の旅にあるアラファトの留守に、どうやらパレスチナ混乱はさけられそうになりました。前首相アブ・マーゼンとクレイ首相の2頭だて指導体制が形をととのえてきた。アラファトが絶対に手放さなかったパレスチナ治安警察を病人議長に相談せず、指揮下においたもよう。いわば鬼のいぬまに乗っ取り、疑似クープである。

この指揮権を譲らないアラファトに抗議してアブ・マーゼンは首相を辞任し、ロードマップがつぶれてしまったのです。さらにこの指揮権を巡ってクレイはなんども辞意を表明し、そのつどなぜか翻意して今に至った。両者の関係はよくないが、ここは二人協力してパレスチナの舵取りに同意したもよう。もっとも治安軍が二人の命令に従うときまったわけではないが、反乱はない。
   



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