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ダブリン異聞
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〈 Tue, 6 Jul 2004 〉
●参議院選挙
夏休み、国外に出てしまうとすっかり旅のモードに浸って参院選もイラクも、ニュース遮断の状態。選挙の方はすぐに在外投票用紙を請求しておいたのですが、わが住所のある奈良市選挙管理委員会から書留宅配で送られてくる。それがダブリン出発日に間に合わず、翌々日に届いたと留守居の伯母あちゃんから聞く。14日に帰るのですでに消印有効の11日にまにあいません。今回は棄権です。 |
しかし小泉内閣の支持率が落ちどまりませんね。拉致問題の解決方は一時的な人気にとどまるのは当然、包括的失敗と書いたとおりでそれみたことかです。賦におちないのは景気が上向きになったことが小泉支持に繋がらないこと。公共投資を切った一点だけでももう少し誉めてあげてよさそうなのに、人心はツメタイ。竹中立候補は凡庸におわりそうだ。とはいえ、自民と公明が別れないのでこの選挙に番狂わせはなさそうです。
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●ダブリン
ジェームス・ジョイス生誕100年というので春ごろからよくダブリンがニュースに、また今年前期のEU議長がアイルランドのアハーン首相(デキル)だった関係で、珍しくわたしが「いきたい」と家内にもちかけたのでした。しかも1年前に豪華本ではないがウスッペラでもないアイルランドの案内写真集を小生が翻訳していたので興味があった。さらに本の虫だった若いころ、ヘンリー・ミラーがジョイスの「ダブリン人」と「ユリシーズ」を絶賛していたので、そいじゃ読むべしとばかり読んだものです。哀しいかな街の暗い雰囲気以外内容がまるっきり思い出せない。 |
で、着いてみると明るい。それに街路がキレイ、ロンドンと大違いだ。人口200万といえばオスロの4倍、堂々たる大都会で、ここにも港湾新開発のドックランドがあり、黒い背広にネクタイの男が非常に多い。欧州のターミナル空港都市ではないためだろうか、イナカ町におもわれがちだがとんでもない。一番に気づくことは黒人やアラブ系がヨーロッパ大都市に比べ極端といっていいほど少ない。アジア、インド系は普通にみかけるのになぜだろう。
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空港バスの運転手がわれわれの安ホテルがどこにあるか、知らなかったので市内終点でおりてタクシーに乗った。で、そのことをタクシーのお兄さんにいうと、彼らは地元ではなく道路や建物を知らない、移民が多くなって困るんだと不平タラタラなんですな。懐中物には気を付けろとか地元の人間の良さをほのめかせて、その分親切にしてくれましたが、ここにも移民に神経を尖らすアイルランド人がいた。アイルランドは早く73年からEUメンバーで通貨はユーロである。でも標識にはアイルランド語(ケルト語やゲーリックなどが起源)と英語が併記され、プリント資料の本文にもしばしば併記されている。殆ど使う人が居なくなってもアイデンティティーを大事にするのはどの国でもおなじらしい。
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700年代からノルウェーとデンマークからヴァイキングたちが襲撃、住み着いたので、アイルランド語の普通名詞はなんとなく解かるものが少なくない。歴史的にイングランド、スコットランドからの侵入者と血なまぐさい戦いを経ているので、ヴァイキングに対して「海の勇者」という善悪を論じない表現を観光バスの運転手兼ガイドが使っていた。
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3日間、いろいろ知りえた知識の受け売り:ギネス醸造の創業者には21人の子供がいて、ギネスビールのお陰で医者知らずだった。ガリバー旅行記を書いたジョナサン・スイフトは版権で築いた財産で教会を買い取りこの国最初の精神病院を作った。イェーツは失恋ばかりしていたから詩を書いているうちに大詩人になった。(了)
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