我がニッポン日本・高見の見物(コラム)

Masaoki Adachi/安達正興


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私観・カルザイ議長の人物像
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〈Sun, 20 Jan 2002 〉

アフガニスタン暫定行政機構のカルザイ議長が東京にやって来る。
日本が主催する アフガン復興「支援国会議」の支援を受ける側。
そこでこのカルザイさんとはいかなる人物か、アフガンの将来に希望がもてるか、調べもした。そのメモがどんどん増えるばかりでいっこうに書き出せないまま、はや代表が東京にやってきた。遅刻した小学生の心境で走り書きします。
この人いつも肩になにかハオっている。グリーンのキラキラするケープがこのところ多い。羊のチジリ毛の帽子とケープがどうやら指導者のシルシらしい。北部同盟の元大統領ラバニ師もおなじ格好するので指導者のシルシと推察できる。とにかくオシャレな男だ。スーツ姿にオーバーをハオったまま黒塗りのアメ車に乗り込む姿、ヤーさんも顔無しだ。どこかの雑誌でベストドレッサーに選ばれたカルザイさんの写真は、すべて最高級ブランドメンズ・ウエアで決め込んでいる。昔から長身の伊達男で通った人で、目と口に独特のチック症状がある。また多読家で6カ国語を話す知性が知られている。パシュトゥ・ダリ・ウルドゥー・英・仏・ヒンドゥーを話すんですと。なに、どれも近い言語だから驚くにあたらない。
ボンで開催されたポスト・アフガン準備会議では、この人の名前はあまり取り上げられなかったように思う。噂にのぼったのは82才のザヒール・シャー元国王、その出来のよい息子、北部同盟のラバニやファヒド将軍、ソビエトに対するゲリラ闘争以来、国際的有名人になったウズベキのドスタム将軍だとか、あの北部同盟スポークスマン沈着居士のDrアブドラ・アブドラだった。そういえばアブドラさんもオシャレ、いつも焦げ茶色のシャツの形をした厚いジャケツを着ている。似たのを幾つも持っていて手の込んだイメージオシャレをする人だ。
カルザイさんは武将ではない。1979-1989のソビエト軍侵攻のときは、ムジャヘディンの外交を担当していた。当時イスラマバードにあった外国公館に煩雑に出入りし、欧米とのパイプをもっている。ペシャワールで小さなホテルを経営していたので、中村医師やペシャワール会の人にはきっと人気薄だろう。
94年タリバンがカブールに入って政権をとったときに、彼はどうしたか。アーメド・ラシド氏に語ったところによると「タリバンに5万ドル寄付し、隠していた多量の武器を差し出した。オマル師にも何度か会い、私を国連代表にすると言う話だった」ということだ。かなりちゃっかりしている。ちなみにこのエピソードの出所であり、和訳もある名著「タリバン」の著者であるラシド氏はもう驚嘆するアフガン専門家で、ほんと何でも知ってる。9.11以後2〜3の瞠目すべき論文があり、アフガン研究者の必読書、私の孫引き智恵袋でございます。
しかしタリバンはたちまちパキスタンの情報組織ISIの意のままになりさがり、アラブ、イスラム過激派がアフガンの地でテロリスト養成キャンプを作りはじめた。オサマ・ビンラデンがタリバンを牛耳るまでになったのである。それでカルザイさんはアメリカに警告を発したが聞いてもらえず、パキスタン側国境の亡命難民の町、クェッタから98年に反タリバン運動をおこす。タリバン側はその報復にカルザイの父、もと大臣で国民に絶大な信望があった人、を暗殺してしまった。
仇うちではないが、父の遺体を埋葬するため後を継いで簇長になったカイザルさんが、自発的に集まった一族郎党300台の車と隊列を組んで故郷の町・カンダハル目指して行進した。あえて一触即発の危険をおかしてです。タリバン側としてはこの動きに介入すれば、カンダハルのパシュトゥン人を刺激して全面衝突になりかねないと判断、ダンマリに徹して静観した。カイザルさんは目的を果たし、この一件でカイザル株は急上昇。リーダーとしてのカリスマを手中におさめたと言われる。
カンダハル近郊でタリバンと交戦しながら根気よく降伏交渉をつづけ、いわばカンダハル無血入城を成し遂げた。オマル師を見逃した責を問われるが、本来武力を好まない人。当初はアメリカの支援がもらえず独力で南部に反タリバン穏健派地帯を築いた自負があり、ムシャラフやブッシュにとっては食えない人物なのである。アメリカが復興支援について急にギコチない態度を取っているのは過去カルザイさんを無視した気まずさがある。空爆やめろと噛みつかれたり、いいなりにならない人物が議長になってしまったとまどいが見える。
ボン会議の前に、北部同盟の実力者であるDrアブドゥラ、ファヒドとカヌーニ両将軍はこっそりブラヒミ国連特別代表に、カルザイを議長に押してもよい旨知らせてあったらしい。ラバニさんでは殆どの部族に受け入れられないから、今から考えれば裏切り行為とはいえない正しい選択だった。ラバニさんもこの背任行為に反撃する力を持っていなかったので、まるくおさまったしね。
さて、暫定機構が発足し、今年中に開かれる約束になっっている緊急ロヤ・ジルガ(国民評議会)までカイザル議長が行政を担当する。緊急ロヤ・ジルガで暫定政府が樹立され、正式なロヤ・ジルカで憲法を制定。総選挙を実施して正式な政府の成立を目指すという。ホップ・ステップ・ジャンプと予定どおりいくかどうか、誰にもわからない。
なにしろ住民登録はない(以前国連が聞き取りでやりはじめたけれど)、したがってもなにも原理主義タリバンにはもともと税金制度がないから、当面財政は支援金に頼らざるをえない。国庫はタリバンが持ち逃げして空っぽだ。
カルザイ議長がまず手をつけたのが、国軍の創成。逆行と怒る日本の論評をみたがそれは平和呆け、いままで戦士しかやったことがない男たち、故郷に帰っても耕す土地を持たない戦士たちを出身部族から切り離し、国軍としてまとめることで紛争の芽を摘み、失業者を救う政策だ。それによって国家の安全と安定につながる。くえわえて国中にありあまる武器を回収する事業の一環でもある。
仕事なく何もせず、支援食料の配給でこの先食いつないでゆく、自立しようとしない難民、・・お決まりのパターンがはや見られる。イスラム原理国家から民主的政治経済体制に移行するのは至難のわざ。あくまで国民のヤル気にかかっている。「戦争さえおわったら」と楽観的に考えていた少し前の自分が気恥ずかしいおもいだ。
東京会義ではいろいろな復興計画や地雷除去、雪ふる難民キャンプの惨状が話題になるだろうがそれより、10年ぐらいの長期スパンでいくらお金が必要か、どの国がいくら出すか、かなりバラ色の未来を描くのではないだろうか。主催国日本は「会議の成功」が大好きですから。お金出したってねぇ・・今の私はふてくされておりますが、やはりお金はやはり出してやってください。物資・ノウハウなど効率的な支援の方法を探りながらとにかく進めよう。

Pnorama Box制作委員会

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