私文『我がニッポン日本・高見の見物(コラム)』:安達正興

   

土曜日、お昼ちかくに起きてコーヒーカップを手にテレビをつけた。
"Japan has got a new baby girl. Crown Princess Masako---"
おもわず歓声をあげる。ふだんは大声をあげても動いてくれない老妻が、パパどしたん!と叫んでころげ出た。雅子さま、よかった。美智子さま、よかった。歓喜はじける日、祝日なり。

誉れあれ 雅子さま
8年半も長い心労大変でしたね。だから喜びもひとしお、オーバーでなく12月1日は人生最良の日でした。これからは意を強くして自由に振る舞っていただきたい。慎み深いおひとですから自由に振る舞うほど優雅です。妃殿下より賢明な人間など滅多にいません、遠慮することないんです。
雅子さまはキャリアが尋常ならざるひとですから、お家にこもっていらしては惜しい。

敬愛する 美智子さま
どこから書き始めたらよいか、15年ぐらい前でしょうか、美智子さまとクーデンホフ・カレルギー伯との往復書簡数通を日本語訳(文芸春秋誌)で読み感動しました。
カレルギー伯は、第1次世界大戦後の欧州が復興をとげ平和と秩序を回復するために「汎ヨーロッパ運動」をおこし、欧州統合を提唱した思想家、EU生みの親です。美智子妃はこの哲学者に問いかけます。人類愛について、戦争のない平和な世界について論じ、願い、ご自身を語り、誠実に熱心に問いかけます。それにこたえて晩年のカレルギー伯が謙虚に、美智子さまにまけない誠実さで真心のこもった返信をしたためる。それぞれ長文の往復書簡集です。
美智子さまはいつも天皇の後ろに寄り添ってほんの数語おっしゃるだけ、自由に話せない立場に同情していましたが、この書簡集に出合ったときはその雄弁さにおどろき、平和を希求し愛を信じる内容の深さと傷ましいまでに美しい心に打たれました。

3年まえふたたび美智子さまの文を目にしました。これはインドで開かれた児童書国際会議の基調演説に出席かなわず、代読してもらった「児童本をとおして平和を」と題する論考です。朗読すれば30分以上かかる英文ですが、スピーチ用ですからとてもわかりやすい文章です。
幼少期に読まれたかずかずの児童書、戦時中疎開地を転々としながら読み耽った青少年文学書について、数えきれない素晴らしい恩恵を楽しく語られます。
家柄か、さすが正田家には戦前に発行された青少年文学シリーズが揃っていて、世界文学傑作集2巻、日本文学傑作集1巻を愛読され、実にお詳しい。繊細な感性はやはりこの小学校時代に培われたのですね。。
五七調に和訳されて覚えていたアメリカの詩人ロバート・フロストの短詩「田園」を、後年原文を目にして「あ、これだった」とおもいあたる懐かしい再会のくだり。新しい命が芽生える牧場・春の息吹き・スキップしたくなる詩の気分を体に吸い込む感性の人、美智子さまのすばらしさです。フロストは難解すぎるが、言われてみればこのソネットから春の牧場の子供の情景があざやかに見えてくる。また会場がインドのニューデリーなのでタゴールの「花の学校」に言及され、これも後年彼の詩集のなかに発見した喜びを語っておられる。

美智子さまは日本古来の物語、ヤマトタケルの皇子とオトタチバナ媛について詳細に述べておられます。ヤマトタケルの皇子(ミコ)の一隊を乗せた船が嵐に遭遇したとき、海神の怒りを鎮めるためオトタチバナの媛(ヒメ)が入水する有名なお話しです。ここで美智子さまが、タチバナ媛の行為について非常に激しく思い入れ強い解釈を展開されます。野火に捲かれたタチバナ媛を危険を顧みず救い出してくれたタケルの皇子への愛と犠牲について、優しさに答える感謝と愛の賛歌であるタチバナ媛の辞世の歌についてです。そして今日ではこういう人身供養が非現実的であるのはいうまでもないと断ったうえで、次のように述べられます。

「しかし同時にオトタチバナ媛の物語には時代を越えた象徴性を感じて、息苦しくなるほどです。愛の様相には厳しく冷酷とおもえる形をとる場合があり、不安におもう原因は、愛と犠牲が不可分であることによる畏怖と恐れであった。いま振り返ると、そのように理解できるようになりました。」

全文をお読みになれば行間に明瞭なのですが、ご自身がオトタチバナの媛に二重映しです。皇室に入る決心をされた心境が……日本書記の物語を借りた衝撃の心情吐露でした。一瞬電撃が走りすべてがパッと解ったかのよう。愛の不安におびえながら、日本の国に投身された最良の心を美智子さまに観じて、茫然と、もう涙がこみあげていかんともしがたい体験でした。

いつも友人にこう言います:
She is the best mind of Japan indeed. The best humanity of the world.

皇后陛下基調演説http://www.geocities.com/~watanabe_ken/empress_english.html
以下、朝日新聞がことさら問題視する解説(><内)に対して反論:
>「皇族女子は、天皇、皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とした12条の規定だ。女性皇族だけ結婚して身分を離れる条文は、明らかに男女平等に反する。
しかし、女性が結婚後、皇族の身分に残ることにすると、宮家の数が極めて多くなり、皇室費の増加につながることになる。<
○宮家への支給額を質素にするか、皇位継承以外の皇族男子も平民になればよい。今でも多すぎるくらいだ。

>さらに問題なのは、女性天皇を含め、女性皇族の配偶者(皇配)の問題だ。旧皇室典範は、女性皇族と結婚した男性の実家が「「外戚」として勢力を振るう懸念から、男性の皇室への婿入りを認めなかった。現典範もこの精神を踏襲している。<
○あれれ、現実ばなれしてピンとこない。国民注視のなかで「外戚」として勢力を振るう実家が今の世に・・ まがりなりにも三権分立の先進国日本、考えられない。条文だけ解析しないで世の中をしっかりご覧ください。

>女性天皇を認めるということは、夫を民間から「婿」として迎える必要が出る。この「婿」たる皇配がどのような役割を果たすべきかを議論しなくてはならない。例えば、皇配は摂政となれるか、現在の皇后、皇太子妃と同様、皇族としての仕事に専念するのか、あるいは職につくことが認められるのかなどである。<
○摂政とは天皇が成年に達しないか、国事遂行に支障がある期間の地位役職。第三章のどこが不都合なんでしょう。摂政が必要な事態になれば皇室会議で決めることになっている。懸念するにあたらない。皇族方は職を持つなり公務に支障がないかぎり、好きなようにしてもらっても結構。国際機関の名誉総裁にかついだり、式典にに引っ張りだす人形あつかいを止めればスッキリする。

>小泉首相は1日夕、皇室典範の改正について、「国民の声をうかがいながら、歴史、伝統を考えながら広く検討していければいい。まだ結論を出すのは早い」と慎重に検討すべきだとの考えを示したが、背景にはこうした改正議論の難しさがある。<
○改正議論を難しくするのは改正に反対したい人の屁理屈のため。しかし小泉さんが歴史と伝統なんてこといいだした了見がしれない。皇室の古式豊かな儀式、天皇がおこなう神道儀式など、文化面を変更するハナシではありません。それなのに歴史と伝統を持ちだしてズルイ引き延ばし策だな。今すぐ決めなくていいという見解はそのとおり。まだまだ遥か先のこと、小泉さんも私もあの世に行ったあとだもん。でも今決めたって困ることないわな。時期にはこだわらない。

一歩進んで皇族の別居・離婚・再婚について議論してよい頃ではなかろうか。これも人権擁護のうえで忘れてはいけない問題だ。プリンス・チャールズは離婚している。再婚もありうる。ノルウェーでは皇太子が子連れ離婚歴の女性と市内アパートに同棲、年金老人やや老人ホームの反対派があきらめてほとぼり冷めて1年後、盛大な結婚に持ち込んだ。皇室育ちはどこでも嫁選びにガンコで忍耐力がすごいんだなぁ〜。大半のノルウェー人ははどこがいけないのとシャーシャーしてます。ここまできたらおしまいだ、という私がまったく少数派なんです。日本はそこまでいかないよう条項に盛り込んでほしい。せつに願いたい。

医療関係者でうわさの人工授精、体外受精については、恥じることではないので本当なら隠さなくてよい。もちろん興味本位で詮索すべきではない。好事家にはあまりおおっぴらにしないでいただきたい。しかし男女児産み分けをするとなると医師のあいだでどういう取り決めがあるのか知りませんが、反対です。人倫にもとる。

おわりに、みつけた楽しいジョークをひとつご紹介。
新宮はジョージ・ハリスンの生まれ変わり、輪廻転生。「春州宮」(はるすのみや)と命名。

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